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北九州市立自然史・歴史博物館「いのちのたび博物館」で、冬の特別展「名刀『博多藤四郎』の輝き―戦国を生き抜いた武士の絆―」が2021年1月2日(土)~2月14日(日)に開かれます。鎌倉時代の刀工・粟田口吉光(通称・藤四郎)が制作した国指定重要文化財の短刀「博多藤四郎」を軸に、江戸時代の安定の礎を築いた戦国次世代の挑戦について、小倉藩と福岡藩を中心に紹介します。
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3口の「吉光」が一堂に
特別展では、福岡藩2代目藩主・黒田忠之と小倉藩初代藩主・小笠原忠真の関係を中心に、各大名が「ポスト戦国」の時代に、どのように諸課題を解決し、藩政を確立していったかをひも解きます。御家を守り、藩をつくるため、大名たちが奮闘した「時代のドラマ」が浮かび上がります。
会場には、甲冑や絵図など当時を知ることができる資料約100点が並びます。目玉の一つは、鎌倉時代の刀工、吉光が制作した3口の刀です。このうち「博多藤四郎」とも呼ばれる国指定重要文化財「短刀 銘 吉光」は、1647年、福岡藩2代目藩主・黒田忠之が、長子でのちの3代目藩主・光之の正室に小倉藩初代藩主・小笠原忠真の長女・市松姫を迎えた際、返礼品として忠真に贈ったものです。
ほかに、柳河藩立花家に伝わる国宝、三笠宮に献上された短刀も合わせて展示されます。
黒田家と小笠原家の関係
黒田家と小笠原家の婚姻は、両家の存続と発展を図るために必要な策だったといいます。いのちのたび博物館の学芸員・日比野利信さんに解説してもらいました。
――黒田忠之と小笠原忠真はどのような大名なのでしょう?
黒田忠之は、黒田考高(官兵衛)の孫にあたります。小笠原忠真は、細川家が肥後熊本藩に移った後に小倉藩を任されました。15万石の大名ですが、九州の「お目付け役」の譜代大名として、徳川家からの信頼も厚かったとされます。
――親戚関係になったのはなぜ?
ポイントは、黒田家が外様大名、小笠原家が譜代大名ということです。黒田家は幕府とのパイプができ、小笠原家としては外様大名との関係を良くすることになります。黒田家は九州で島津、細川に次ぐ大名なので、関係を築くことは重要でした。
――領民たちには良いことがあったのですか?
両家が支え合って御家が続くことで、藩政も安定します。特に代替わりのときはトラブルになりがちですが、幕府とのパイプがあれば円滑に進むよう根回しや助言もできます。藩政が長期安定すれば、無用の混乱がなく領民の生活の安定にもつながります。
――婚姻の返礼に刀を贈る意味は?
目立った戦乱がなくなった江戸時代、刀は工芸品や贈り物としての価値が高まってきます。手柄を立てる機会が少なくなった時代、両家が親戚となって結びつきを強め、それぞれの家を残そうとする。そういう意味でも、この婚姻と刀の贈答は「泰平の世」を表す象徴的なエピソードと言えるのです。
宮本武蔵の書状も展示
会場には、九州各地の大名やその子たちが出陣した島原の乱の関連資料などもあります。「嶋原陣図御屏風」では原城を囲む武士たちの様子が分かります。屏風に描かれた戦いの光景を解説する動画も制作しました。
島原の乱には、剣豪として知られる宮本武蔵も小笠原長次(忠真の甥)に随行して出陣しました。そこで負傷したことが読み取れる直筆の書状も展示されます。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、入館には事前のWEB予約が必要です。
イベント名 | 名刀「博多藤四郎」の輝き―戦国を生き抜いた武士の絆― |
開催日 | 2021年1月2日(土)~2月14日(日) |
開催場所 | いのちのたび博物館(北九州市八幡東区東田2-4-1) |
開催時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
料金 | 大人600円/高校・大学生300円/小中学生100円 |
公式サイト | 名刀「博多藤四郎」の輝き |