なんで自粛警察しちゃうの?「世間」を研究している先生が教えてくれた

 新型コロナウイルスによる自粛要請が長期化するなか、営業を続ける店や他県ナンバーの車などを私的な立場で攻撃する「自粛警察」が社会問題化しています。日本社会を研究している九州工業大学の佐藤直樹名誉教授(世間学)は、日本特有の「世間」や「空気」の存在を自覚し、冷静に行動するよう呼びかけています。


佐藤直樹さん

1951年生まれ。宮城県出身。九州工業大学名誉教授。世間学、現代評論、刑事法学。日本世間学会幹事。著書に『加害者家族バッシング』(現代書館)『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書)など。


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日本の「社会」は建前でしかない

――コロナ禍の日本社会をどのように見ていますか。

 コロナ禍は、日本が「世間」や「空気」に支配されていることをまざまざと見せつけました。この「世間」という概念は、日本独特です。東日本大震災では、避難所生活を余儀なくされた被災者が、秩序正しく行動しました。略奪や暴動が起きないので、多くの海外メディアが驚きを持って称賛しました。

 海外では巨大災害が起きて法秩序が崩壊した場合、略奪や暴動が起きることも珍しくはありません。しかし、日本には伝統的に「世間」があって、世間のルールが歯止めになっています。

 違った言い方をすれば、日本人は「世間」に縛られているとも言えます。実は、日本人は1000年以上、「世間」を通じたコミュニケーション様式をほぼ変えていません。インターネットが登場して情報通信の技術革新が起きましたが、どんなに科学技術が進歩しても、日本人のコミュニケーション様式は変化していないのです。

――「世間」は日本的なのですね。

 古くは欧米にも「世間」はありました。ただ、欧米では「世間」は「社会」に取って代わりました。日本に「社会」の概念が輸入されたのは明治になってからです。英語の「society」を翻訳して、「社会」という言葉を造語しました。ただし、本当の意味での「社会」は日本に根付きませんでした。「社会」を支配するのは「法」です。欧米には「世間」がなく「社会」があるだけなので、巨大災害などで警察が機能しなくなると、法の支配が崩壊し、社会が急激に不安定化します。

 日本の場合は「世間」と「社会」が二重構造になっています。土台の部分は「世間」が支配していて、「社会」はその上にちょこんと鎮座しているイメージです。日本社会とは言うものの、日本人が生きている世界は「社会」ではなく「世間」なのです。

――確かに、その説明は腑に落ちます。

 日本において「社会」は建前でしかなく、「世間」が本音です。例えば、「権利」や「人権」も、「社会」と同じように輸入された概念です。日本の「世間」においては、今でも、権利や人権はほとんど通用しません。権利や人権は「社会」に属する概念であって「世間」に属する概念ではないからです。

 「あいつは自分の権利ばかり主張する嫌なやつだ」などとネガティブな使われ方もします。さらには「空気が読めないやつ」とレッテルを貼られます。「世間」には権利や人権の概念がないので、新型コロナウイルス感染者への差別や偏見といった人権侵害も「世間」では起きやすいのです。


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日本人は「空気」に抗えない

――そういった日本社会に息苦しさを感じている人も多いようです。

 山本七平は著書『「空気」の研究』で、太平洋戦争の戦艦大和の海上特攻は「空気」が決めたと指摘します。日本人が集団で意思決定をする際、一番の基準となるのが「空気」です。


『「空気」の研究』山本七平著 文春文庫


――今なら、自粛の「空気」ですね。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止に際し、日本政府は「自粛」という言葉を使って「世間」の「空気」をつくり上げました。「世間」と「社会」の二重構造を知らない海外メディアは、罰則がなく、命令でもない日本政府の取り組みを緩慢だと批判しました。しかし、日本における「空気」の同調圧力や相互監視は強い強制力を伴います。日本人は「空気」に逆らえませんからね。

 もし「空気」に逆らったらどうなるのか。山本の言葉を借りれば、「抗空気罪」で罰せられます。日本政府はそのことをよく分かっていて、あえて自粛という言葉を使ったのでしょうね。

――山本は、抗空気罪は最も軽くて「村八分」刑と指摘していますね。

 そうです。抗空気罪は「世間」においては重罪です。コロナ禍によって、現代社会の日本でも起きています。「自粛するんだぞ」という「空気」を破って新型コロナウイルスに感染した人は、世間的には「空気が読めない人」なわけです。感染者の家族も差別やバッシングの対象です。日本では犯罪者家族もバッシングされますよね。そうやって「日本村」から排除されるのです。

――行き過ぎた同調圧力が社会問題化しています。

 自粛に応じないからという理由で、行政機関が店名を公表したケースもありました。行政機関が憎しみをあおり、世の中を分断することを先導しました。これらの対応は行き過ぎです。

 「世間」は内と外を定義します。内側の人には優しくするし、援助もするけど、外側の人には無関心だったり、排除したりします。それが「世間」です。日本人なら誰しも経験があるはずです。

――自粛警察(自粛ポリス)という言葉も生まれました。

 自粛警察は、彼らなりの正義を振りかざし、基本的に匿名で活動します。「空気」が生んだ同調圧力や相互監視の権化です。新型コロナウイルスは無症状の感染者が多く、誰がウイルスに感染しているのか分かりません。その恐怖心や不安感が、小さな危険因子を徹底的に排除しようとする行動につながったのでしょう。

――自粛に頼った行政の対応は無責任との批判もあります。

 無責任だと思いますね。戦艦大和の海上特攻でも分かるように、「空気」が決めたことについては、誰も責任を負いません。行政機関は自粛を要請しただけで、命令したわけではありませんから。どうしても責任の所在が曖昧になりがちです。

 さらに言うと、「空気」は驚くほど急速に変化します。180度変わっちゃうことも珍しくありません。

――終戦直後の日本もそうでしたね。

 コロナ禍を戦時と捉える向きがありますから。似ていますよね。戦中は「鬼畜米英」と言っていた日本人が、終戦後は瞬く間にアメリカ型民主主義を受け入れました。「世間」の「空気」が一変したとしか説明がつきません。

 日本人にとって「世間」の「空気」が変われば、それに合わせて自分の意見を変えるのは当たり前です。思想も信条もありません。あるのは「世間」で、行動を決めているのは「空気」です。自分の意思で決めていないのだから、自分には責任がないと思っています。自粛警察の人たちもそういう「空気」に操られているだけです。


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