読売新聞読者投稿「私の日記から」~出会い編

企画

 読売新聞の九州・山口各県で掲載されている読者エッセー欄「私の日記から」の特別編として、「出会い」をテーマにした投稿を募集しました。大切な人や動物との思い出、人生を豊かにする趣味や学びなど、多くの作品が寄せられました。その中から3人のエピソードを紹介します。

「夫婦は奇跡」忘れないでほしい


思い出のボンタンアメを手に、出会った当時を振り返る関野さん夫婦

 (福岡市 無職 関野末男 90歳)

 多くの夫婦は、奇跡のような出会いで結婚しているのではないか。私も例外ではない。
 妻と出会ったのは26歳の時。それまで女性と付き合った経験はなく、メーカーの営業職として転勤先の鹿児島市で独身生活を送っていた。出張で県内最南端の小さな町にある特約店を訪れた時のこと。市内への最終バスが店の前を通り過ぎ、気付いた店主が急いで店員さんのバイクの後ろに私を乗せてくれた。
 いくつか先のバス停でバスに追いつき、乗り込んだ。満員の車内で一つだけ空いていた席に座り、ほっとして隣を見ると若い女性が座っていた。しばらくして、上着のポケットに、店の子どもさんに渡すためのボンタンアメが残っていたのを思い出して食べ始め、女性にも一粒差し上げた。
 それから話が弾み、終点で降りた後に喫茶店に行き、再会を約束して別れた。その後交際が始まり、結婚。3人の子どもにも恵まれ、今年64回目の結婚記念日を迎えた。
 4年ほど前から妻の介護をしており、主夫業にも慣れてきた。妻は感謝してくれ、私も喜びを感じている。奇跡の出会いを忘れないでほしい、というのが私の小さな願いだ。

シャンソン歌うと若返った気分に


シャンソンの発表会で歌う横山さん(本人提供)


 (山口市 無職 横山ツヤ子 87歳)

 いつか習ってみたいと憧れていたシャンソンを始めて7年になります。
 79歳の頃、お友だちに誘われて、山口を拠点とする女性のシャンソン歌手のコンサートへ足を運びました。深みのあるアルトで、語りかけるような歌声。初めて生で聴くシャンソンに感激しました。終演後、出口で歌手の方に「すてきでした」と声をかけると、優しくハグをしてくれました。夢のようなひとときでした。
 その方が開くカルチャー講座があり、すぐ申し込みました。先生の歌声と人柄にすっかり魅せられ、月1回のレッスンに楽しく通っています。
 年に1回、受講生全員の発表会があります。好きな1曲を、ピアノの先生の伴奏に合わせて歌います。着慣れないドレス姿で舞台に立ち、気持ちが高揚します。歌いながら、細胞の一つ一つが若返っていくような気分になります。
 入院を経験し、練習を休んだ期間もありましたが、また歌っています。人生の終盤にシャンソンとすてきな先生方、仲間に出会えた幸せに感謝しています。

インドの方から被爆を悼むことば

(長崎県佐世保市 主婦 竹下充子 76歳)

 長男と年に2、3回、長崎市内へ出かけます。平和公園を訪れ、原爆で亡くなった方々や、後遺症で苦しんでおられる方々に心を寄せ、恒久平和が続くよう祈るためです。
 長崎で被爆した父は、病と闘いながら国鉄職員として勤め上げ、68歳で旅立ちました。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞が決まった直後、父を思い平和祈念像の前で祈っていると、後ろから「長く祈っておられましたね」と声をかけられました。
 家族と訪れたという東京在住のインド人の女性で、「何の罪もないお年寄りや女性、幼い子どもたちが原爆の犠牲になり、本当に気の毒なことです」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話してくれました。平和祈念像の意味を尋ねられたので、知識が乏しいながらも説明し、近くの原爆落下中心地碑にも立ち寄ることを勧めると、「ぜひ行ってみます」と返答してくれました。
 別れ際には、脳性まひの一種「両まひ」がある長男にも温かいまなざしを向けてくれました。短い時間でしたが、忘れられない出会いとなり、何ごとにも代え難い思い出です。

大分県立別府翔青高の生徒が寄せた「出会い」にまつわるエッセーはこちら

「私の日記から」原稿募集

題材は自由で、400字程度。原稿は返却しません。匿名希望や二重投稿はお断りします。掲載分には薄謝(図書カード)を贈り、読売新聞の電子メディアや出版物などで公開することがあります。

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