<鉄路ノート>鹿児島市電 街を見守り、のんびりと

企画

鹿児島市街地を進む路面電車


 JR鹿児島中央駅(鹿児島市)に隣接する商業施設「アミュプラザ鹿児島」の観覧車をバックに、緑と黄色の路面電車がゆっくりと進む。



 鹿児島市電は1912年(大正元年)、民間の鹿児島電気軌道が一部区間で営業を開始した。28年(昭和3年)に同市が買収し、現在は市交通局が全長13.1キロの路線で、1日最大660本を運行している。


南九州最大の繁華街・天文館を走る鹿児島市電

 車窓からは、鹿児島のシンボルである桜島や、再開発の進む鹿児島中央駅、繁華街・天文館も見える。2021年3月には、カウンター付きの貸し切り車両を使った「マグマやきいも電車」を企画し、人気を集めた。

(写真:木佐貫冬星)

<読売新聞 西部夕刊 2021.7.13~8.26 掲載>

線路渡って こんにちは

 南鹿児島駅前電停(鹿児島市)近くには、鹿児島市電とJR指宿枕崎線の線路に挟まれた幅10メートルほどの一軒家がある。線路を渡らなければたどり着けない、少し変わった立地だ。


鹿児島市電(左)とJR指宿枕崎線(右上)の線路に挟まれた福元さん宅。電車の通過を確認して娘の松下さんが踏切を渡る

 「少し揺れるけど、もう慣れています」。この家で生まれ育った松下悦子さん(65)が教えてくれた。こういう立地になった経緯は不明だが、近くには同じように線路に挟まれた親戚宅もあるという。



 この家に暮らす母・福元シヅ子さん(87)の様子を見るため、市内の自宅から頻繁に通う。真横を通る市電は生活の一部だ。松下さんは「昔、娘と一緒に『花電車』が何回も通るのを眺めるのが楽しかった」と振り返る。


通勤、通学の人たちでにぎわうJR南鹿児島駅(右)。接続する市電に乗り換える人も多い


 近くの電停の利用客との会話が生まれることもある。「学生さんがあいさつしてくれたり、おばあちゃんが家庭菜園のアドバイスをしてくれたり。この場所ならではですよね」と笑った。


市民見守った操車塔    

 鹿児島市電・高見馬場電停に隣接する交差点は線路の分岐点になっている。多くの車や電車が行き交う一角には、街路樹に挟まれた「電車操車塔」がひっそりとたたずんでいる。


電車が通過する交差点脇に立つ電車操車塔


 ビルの2階ほどの高さで、1949年(昭和24年)に建設された。かつては係員が常駐し、建物の中から電車の行き先によってポイントを変える操作を行っていたという。



 操作の自動化に伴って57年(同32年)に無人化されたが、機械に囲まれた室内は当時の雰囲気のままだ。


無人化された建物の内部には、ポイントの操作盤などが今も残る

 「生きた状態で残っているのは全国でも珍しい」(市交通局)という操車塔。無人となっても、市民の足の運行を見守っている。

祭りの華 満開待つ    


デビューを待つ「花3号」

 鹿児島市電の車両基地には、デビューの日を待ち続ける車両がある。同市の秋の風物詩「おはら祭」をPRする花電車「花3号」だ。



 車両に色とりどりの造花や電飾などが取り付けられた花電車は、毎年11月に開催される祭りをPRする。「花3号」は、2020年まで40年以上にわたって運行されてきた先代「花2号」(1911年製造)の後を継ぐ。営業運転を終了した車両の屋根や壁、座席を撤去し、電飾用の電源やスピーカーを設置するなどの改造を施している。


引退した「花2号」(2020年10月)


 車体は白い塗装を終え、飾り付けを待つばかり。改造を担当した電車事業課の相良長浩(ながひろ)車両係長(59)は「先代のように市民に親しまれる車両になってほしい」と願っている。


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緑のじゅうたん守る    


終電後、芝刈り機を牽引して走る電車

 営業運行を終えた深夜、一風変わった電車が鹿児島市の車両基地を出発する。線路の軌道内に植えられた芝生を手入れする「芝刈り電車」だ。



 四つの芝刈り機を備えた装置を牽引(けんいん)しながら、人が歩くほどの速さでゆっくりと進む。電車の行き先表示板には「芝刈作業中」の文字。作業員もついて歩き、ほうきで掃いて整える。


街の明かりに緑の芝生が映える

 同市はヒートアイランド現象の緩和などを目的に、2006年度から軌道内の緑化を進めてきた。現在、総延長13.1キロの7割近く、約3万5000平方メートルに芝生が植えられている。運行は芝が育つ5~10月頃まで。市内を彩る鮮やかな緑のじゅうたんは、こうして守られている。

歴史学べる局舎    

 鹿児島市上荒田町にある交通局には、市電の車両基地を見下ろせる「資料展示室」がある。電車のブレーキやパンタグラフ(集電装置)、行き先板など50点以上の部品が展示された室内からは、基地の中を行き交う電車を観察することもできる、鉄道ファンにはたまらないスポットだ。


実際に使われた行き先板などが並ぶ「資料展示室」


 現在の局舎は2015年、約1.3キロ離れた同市高麗町にあった施設の老朽化に伴い、新築移転された。その際、市民に親しんでもらおうと局舎の3階部分に展示室が設けられた。家族連れなどから人気を集め、年間7000人前後が訪れているという。



 電車が大好きという長男・楓(かえで)ちゃん(3)らと訪れた鹿児島県日置市の有馬祐作さん(37)は「本物の電車のハンドルに触れるなど、普段はできない体験ができて良かった」と話していた。


鹿児島市電の車両基地を一望できる

「最南端」映える終点        

 本土で最も南に位置する鹿児島県には「最南端」といわれる場所が多く存在する。鹿児島市電の終点「谷山電停」も「日本最南端の電停」とされている。


かわいらしい"表情"の谷山電停

 市交通局の前身である鹿児島電気軌道は1912年(大正元年)、同電停から武之橋電停までの6.4キロで運行を始めた。谷山電停前には2012年に設置された最南端の電停を示す標柱があり、時折、鉄道ファンとみられる人たちが記念写真に収めている。



 最北端とされる札幌市交通局の西4丁目電停からは南に約1600キロ。鹿児島市交通局の岡元一秀・電車事業課長(53)は「最南端を意識して市電を利用する人は少ないと思うが、標柱を見て知ってくれる人が増えればうれしいですね」と話した。


「日本最南端の電停」と書かれた標柱


桜島と これからも    


 郊外の住宅街に沿って、緑と黄色の電車が快走する。湾を挟んだ対岸には、鹿児島市電が歩みを共にしてきた活火山・桜島を望む。


桜島をバックに走る鹿児島市電の電車


 車窓からは迫力ある景色が楽しめる一方、30年前には、噴火に伴って大量の火山灰が降る「ドカ灰」が原因で踏切が誤作動したり、電車が走らなくなったりした。当時運転士だった電車事業課の相良長浩・車両係長(59)は「近くの花屋からバケツに水をもらって、線路と車輪との間の火山灰を洗い流したこともあった」と振り返る。



 近年はドカ灰がなく、運行への影響はほとんど出ていないが、今でも電車には水の入ったペットボトルが置いてある。鹿児島のシンボル・桜島と市電の100年以上にわたる付き合いは、これからもずっと続いていく。


甲突川に架かる武之橋からは鹿児島のシンボル「桜島」の雄姿が見られる

※ 年齢・肩書などは当時


動画(読売新聞オンライン)はこちらから


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