<鉄路ノート>肥薩おれんじ鉄道 海風を切って絶景の旅

企画

青い海と空を背に走る列車

 熊本県八代市と鹿児島県薩摩川内市を結ぶ第3セクター・肥薩おれんじ鉄道は、八代海や東シナ海に沿って走り、風光明媚(めいび)な車窓が楽しめる観光路線だ。

 元々はJR九州の旧鹿児島線だったが、2004年3月、九州新幹線の部分開業に合わせて3セク化され、誕生した。全線は116.9キロ(熊本県内56.1キロ、鹿児島県内60.8キロ)。沿線には熊本県水俣市や鹿児島県出水市などもある。



 使用車両はすべてディーゼルカーだが、全線が電化されたままになっている。そのおかげで、JR九州の観光列車「36ぷらす3」などのほか、JR貨物の列車も全線を走り抜ける。


 肥薩おれんじ鉄道の列車は、本社がある八代駅から川内駅間の走行が基本だが、一部は両端で1駅ずつ区間を延長している。


海沿いを走り抜ける列車

 八代駅からはJR線に乗り入れ、新八代駅で九州新幹線に接続。川内駅からは隈之城駅まで走り、通学の足を確保している。

(写真:久保敏郎)

<読売新聞 西部夕刊 2022.8.16~9.9 掲載>

「くまモン」とどこまでも


「くまモンラッピング列車」を出迎える「くまモン駅長」

 全国的な人気者となった熊本県営業部長兼しあわせ部長「くまモン」。肥薩おれんじ鉄道沿線の熊本県八代市の街中には、観光PR用に100体以上のくまモン人形が立つ。



 そのうちの一つ、日奈久温泉駅では、「くまモン駅長」が観光客らを出迎える。高さ約1メートルの強化プラスチック製。列車から降りた乗客らの記念撮影スポットにもなっている。


 同鉄道は人気にあやかり、くまモンをラッピングした3両の個性あふれる車両を運行している。青色の車体に虹やくまモンを描いた1号車。沿線の特産品をイメージしたオレンジ色の2号車。黒と赤を基調にした3号車は、正面にくまモンの顔が描かれている。

 車内は、つり革にくまモン人形が付けられたり、大きな人形を座席に座らせたりするなど、楽しめる内容になっている。8月上旬、大阪府枚方市から八代市内の祖母宅に来ていた小学4年生の男子は「乗った瞬間から楽しくなる列車」とうれしそうに話していた。


つり革や座席などにくまモン人形が取り付けられた車内

「幻の駅」遠い夏の記憶

 沿線に多くの海水浴場がある肥薩おれんじ鉄道。鹿児島県薩摩川内市の 唐浜(からはま)海水浴場近くにはかつて、「幻とよばれる駅」があった。


唐浜海水浴場近くを走る列車。この付近にかつて「唐浜仮停車場」があった


 同市内の西方― 草道(くさみち)駅間に設置されていた「唐浜仮停車場」。1951年7月23日から55年3月7日までの間、海水浴期間中のみ営業した季節臨時駅だ。実質的な営業は54年夏までだった。



 同社の資料や市広報などによると、枕木で作られた簡素なホームだった。「列車を下車後、海水浴場までは歩いて8分かかった」と伝わっている。


 線路には距離を表すキロポストという「くい」が敷設されており、唐浜仮停車場の場所は「338キロポスト」付近だったという。利用者の減少で同停車場が廃止された後、周辺は保安林の整備などで姿が変わり、痕跡は見当たらない。


開業70周年を記念して売り出された切符

 現存していれば、2021年7月で開業70周年だった。肥薩おれんじ鉄道はこれを記念して切符を販売し、唐浜仮停車場は再び脚光を浴びた。

観光列車を迎える大漁旗


牛ノ浜駅のホームで観光列車を見送る人たち

 毎週木曜日の午後、鹿児島県阿久根市の肥薩おれんじ鉄道・牛ノ浜駅に、近所の人たちや市商工観光課職員らが集まってくる。到着するJR九州の観光列車「36ぷらす3」を出迎えるためだ。

 同列車は、肥薩おれんじ鉄道がJR鹿児島線だった頃に走っていた特急「つばめ」を改造した。ビュッフェを備えた車両や熊本県産のイ草を使った畳敷きなどが話題となっている。木曜日は博多駅を出発し、肥薩おれんじ鉄道にも乗り入れて、鹿児島中央駅を目指す。

 牛ノ浜駅は、売店もない無人駅だが、駅前には東シナ海が広がる。車内とは違った開放感が味わえ、停車駅に選ばれている。


停車中に特産品を買い求める乗客たち

 停車時間は20分。出迎えの人たちは、法被姿で大漁旗を持ち、市の観光チラシを配ったり特産品を販売したりする。近所の女性たちが民謡「阿久根ハンヤ節」を踊って歓迎する時もある。発車時には全員がホームに整列し、小旗を振って送り出す。



点検新車両 京都から遠征


 線路を走りながら、架線や信号機などを検査・測定するJR西日本の総合検測車「DEC741」が7月20、21日、肥薩おれんじ鉄道に初めて乗り入れた。


肥薩おれんじ鉄道に初めて乗り入れたJR西日本の総合検測車「DEC741」

 2021年秋に完成した新車両で、JR西日本の京都にある車両基地から遠征してきた。今回はJR九州の点検の合間に、肥薩おれんじ鉄道の全区間も検査・測定した。



 2両編成の車体は、事業用の特殊車を示す青色と黄色の「警戒色」に塗られている。屋根の上や車体側面などに約50台の特殊カメラを配備しているのが特徴だ。最高時速約100キロで走りながら、架線や電柱などを立体的に観測。摩耗具合などを点検する。


海沿いの線路を検査や測定をしながら走る「DEC741」

 両日は時折、雨も降る天候だったが、沿線には走行を聞きつけた熱心な鉄道ファンがカメラを構えていた。熊本県大津町の男性会社員(53)は「雨でレンズが曇って大変だったが、貴重な記録を残せた。仕事を休んで来たかいがあった」と笑った。

「絶景を運転」夢をかなえた女性

 今年6月、肥薩おれんじ鉄道に1人の女性運転士がデビューした。福岡県出身で熊本大法学部卒の児島凜さん(24)。


運転士としてデビューした児島さん

 大学のゼミの研修で初めて熊本県水俣市を訪れた際、海岸線を走る肥薩おれんじ鉄道の美しい沿線風景に魅了された。飛行機やバスなど乗り物に興味があった児島さんは、即座に「このきれいな風景の中を運転してみたい」と決意。「あなたが目指したい方向に進みなさい」との家族の励ましもあり、運転士の道に進むことを決めた。

 入社後すぐに、JR九州の研修所(北九州市)に入った。法規やエンジン工学、実技などを学んだ。退所後は約半年間、先輩の女性運転士に付きっ切りで運転技能を学び、運転士免許を取得した。


運転席でマスクを外し、撮影用にポーズをとる児島さん

 独り立ちの日は、あいにくの曇りの天気。出水駅(鹿児島県出水市)から八代駅(熊本県八代市)まで約70キロ、1時間30分の運転だった。「むちゃくちゃ緊張しましたが、到着後はホッとしました」と笑い、「いつかは家族を乗せて運転したい」と話した。



線路跡 走って歩いて13キロ


 肥薩おれんじ鉄道の水俣駅(熊本県水俣市)を出発した上り列車は、線路に沿うように舗装された細長い道と並んで走る。駅から約1キロ進むと、線路は左にカーブして水俣川に架かる鉄橋を渡るが、道はさらに直進し、山間部を目指して続く。


肥薩おれんじ鉄道の線路に沿うように整備された「日本一長い運動場」


 この道が、「日本一長い運動場」として整備された元JR 山野(やまの)線の廃線跡だ。水俣市によると、全長は約13キロで、田園風景を約1万8700歩で歩けるという。サイクリングもできる。途中には駅舎を改造した休憩所やトイレもあり、終点は元久木野駅付近となっている。


運動場の起点に設置された看板

 山野線は水俣市から鹿児島県大口市(現在の伊佐市)を通り、同県栗野町(同湧水町)までの55.7キロを結んでいた。一時は急行「からくに」も走っていたが、1988年1月31日限りで廃線になった。水俣市はその後、廃線跡の活用策としてレールを剥がし舗装した。

 線路跡の遊歩道と、レールが残った肥薩おれんじ鉄道の線路が分岐する地点の上には今、高架橋があり、轟音(ごうおん)とともに九州新幹線が走り抜ける。



聖地巡礼「放課後ていぼう日誌」


 熊本県は、2020年7月の九州豪雨で大きな被害を受けた。肥薩おれんじ鉄道も芦北町内の佐敷トンネル出口が土砂で埋まるなどし、沿線では住宅の床上浸水などが相次いだが、復興に一役買ったのが、月刊漫画誌に連載中の「放課後ていぼう日誌」(秋田書店)だ。


漫画のパネルなどが展示された佐敷駅の待合室

 「放課後ていぼう日誌」は、都会から海の近くの田舎に引っ越してきた女子高生が、堤防で釣りをする「ていぼう部」に入部し、部員たちとの交流を深めながら、釣りの楽しさを知るストーリー。名称は違うが、芦北町内の各地がモデルだ。作者の小坂泰之さんは県内在住で、九州豪雨で自らも被災した。

 肥薩おれんじ鉄道は20年12月から、登場する主要キャラクターを描いたラッピング列車を走らせている。21年4月からは出版社の協力も得て、佐敷駅待合室に漫画のパネルや、テレビアニメ化時の声優の直筆サインなどを展示している。


漫画のキャラクターなどが描かれたラッピング列車

 漫画の反響は大きく、堤防や佐敷城跡、芦北大橋など登場する場所を「聖地巡礼」と称して訪れるファンが増えた。ラッピング列車、パネル展示ともに来年春までの予定で、同鉄道は「ラッピング列車に乗って気分を高め、各地を訪れてほしい」と呼びかけている。



ハートを射抜く夕日の道


 風光明媚な景色で知られる肥薩おれんじ鉄道沿線の中でも、牛ノ浜(鹿児島県阿久根市)―草道駅(同県薩摩川内市)間の約15キロは美しい海岸線が続く。東シナ海に夕日が沈む時間帯は、空がオレンジ色に染まり、ロマンチックな雰囲気に包まれる。


夕日が沈む時間帯に美しい光景が見られる薩摩高城駅近くの海岸。ハート形にくりぬかれたボードが設置されている


 その素晴らしい景観を観光振興につなげようと、同社の社員らが立ち上がった。社員や地域住民ら約30人は2013年1月から、この区間にある無人駅、 薩摩高城駅(同)周辺の整備を開始。雑草を刈り、海岸まで約100メートルの道を通して、古い枕木で道の両側を固めた。ウッドデッキも設け、展望台になる丘には階段を造った。


 海岸から見える岩石にはハート形のくぼみがあり、同形にくりぬいたボードも置いた。菅原道真公の伝説にちなんだ「鐘」も設置。願い事がかなうような「聖地」をつくりあげた。


薩摩高城駅から遊歩道を通って海岸に向かう乗客たち

 完成後は、人気観光列車「おれんじ食堂」の乗客らも停車時間に足を延ばす人気スポットになった。こうした動きのおかげで、駅名の漢字を「さつまたき」と読める観光客が増えたという。



※ 年齢・肩書などは当時


動画(読売新聞オンライン)はこちらから

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