<鉄路ノート>JR大村線 夕暮れ時、黄金の道しるべ

企画

夕日に照らされる大村湾に面した千綿駅を通過する列車

 長崎県の中央部に位置する大村湾。穏やかな海にゆっくりと沈む夕日が、海岸線を進む列車と湾内を黄金色に照らす。

 JR大村線は、早岐(はいき)駅(長崎県佐世保市)と諫早駅を結ぶ全長47.6キロの単線だ。1898年(明治31年)に民間会社「九州鉄道」の路線として開業し、国有化後に長崎線の一部となった。1934年(昭和9年)、有明海沿いを通る現在の長崎線の開通に伴い、分離して大村線と改称された。

 沿線には大型リゾート施設「ハウステンボス」(佐世保市)があり、佐世保駅から大村線経由で長崎駅までを結ぶ直通列車も、観光客や市民の足として利用されている。



 9月23日の西九州新幹線開業に合わせ、大村線には新大村、大村車両基地の2駅が新設された。120年以上の歴史を持つローカル線も、新しい時代を迎える。


(写真:秋月正樹)

<読売新聞 西部夕刊 2022.9.13~10.25 掲載>

新幹線基地の真横に新駅

 西九州新幹線(武雄温泉―長崎間)が9月23日に開業し、JR大村線の松原―竹松駅間に「大村車両基地」、竹松―諏訪駅間に「新大村」(いずれも長崎県大村市)の2駅が新設された。


西九州新幹線の開業に合わせて新設された大村車両基地駅(手前)。奥には基地内に停車する新幹線「かもめ」が見える


 大村車両基地駅は、新幹線の整備拠点として定期検査や修繕が行われる車両基地に隣接。駅名は600件の公募から選ばれた。



 人口減少が続く長崎県だが、大村市は人口が毎年約500人のペースで増えている。車両基地周辺では宅地化が進んでおり、市新幹線まちづくり課の担当者は「将来的には車両基地駅を観光資源としても活用したい」と意気込む。


中世オランダの街に胸躍る

 オレンジ色の特急「ハウステンボス」でJR大村線・ハウステンボス駅(長崎県佐世保市)に到着すると、ホームからは異国情緒あふれる西洋風の建物群が見える。駅舎も洋館をイメージした造りで、非日常の世界へ向かう観光客は胸を躍らせる。


ハウステンボス駅に到着する特急「ハウステンボス」

 1992年3月、中世オランダの街並みを再現したテーマパークとして開業し、30周年を迎えた大型リゾート施設「ハウステンボス」(HTB)。大村湾と佐世保湾をつなぐ海峡「 早岐(はいき)瀬戸」を挟んだ大村線に最寄り駅が開設され、約200メートルの連絡歩道橋でHTBと結ばれている。



 大村線はほとんどが非電化だが、特急電車が乗り入れられるように早岐―ハウステンボス駅の1区間(4.7キロ)のみ電化された。博多駅(福岡市博多区)発の特急は、鹿児島線から長崎線、佐世保線を経て大村線に入り、終点のハウステンボス駅にたどり着く。


 2021年度の同駅の利用者は約30万人。今日も大勢の家族連れが降り立つ。

安全つなぐ3色旗

 長崎県佐世保市の 早岐(はいき)駅では、JR大村線のハウステンボス駅(佐世保市)を発車した特急「ハウステンボス」と、佐世保線の佐世保駅(同)を発車した特急「みどり」が連結される。一緒に向かうのは終点の博多駅(福岡市)だ。


早岐駅で特急「みどり」(奥)と「ハウステンボス」の連結作業を行う古川さん

 発車駅が異なる列車を連結し、一つの列車に編成することを「併結」と呼ぶ。特急の併結はかつて、長崎線と佐世保線が合流する肥前山口(現・江北)駅(佐賀県江北町)などでも行われていた。今では、JR九州管内でこの光景を毎日見られるのが早岐駅だけとなっており、見学に訪れる鉄道ファンも多い。



 作業を担当するのは、佐世保車両センターの古川邦裕さん(59)。旧国鉄時代から30年以上にわたって携わり、以前はブルートレイン(夜行寝台列車)の機関車の連結も手がけた。

 信号代わりに赤、緑、白の3色の手旗で合図を出し、人の歩く速さで慎重に列車を移動させてつなぐ。古川さんは「安全第一に加え、乗客に衝撃を感じさせないよう心がけています」と話す。

レトロ駅舎 生け花で彩り60年

 色鮮やかな生け花が、築100年余りのレトロな駅舎を彩る。

 JR大村線の大村駅(長崎県大村市)では、待合所に飾られた季節の花々が利用者の目を楽しませている。地元で長年、生け花教室を開く笹山トヨ子さん(97)が、約60年前からボランティアで毎週欠かさず生け替えている。


大村駅の待合所に生け花を飾る笹山トヨ子さん


 笹山さんは、生け花の最大流派・華道家元池坊の会員のうち、全国に7人しかいない「准華老」の一人。きっかけは、教室の生徒から駅に花を飾ってほしいと頼まれたことだった。



 毎回、自宅の庭や近くの野山で摘んだ草花などを4、5種類使い、見た人が季節を感じられるよう工夫している。この活動が認められ、2004年には緑綬褒章を受章した。


 体力の限界を感じてやめようと思ったこともあるが、利用者の「毎週楽しみにしています」との声に励まされ、駅舎に足を運ぶ。「体が動く限り続け、多くの人たちに見てもらいたい」と笑顔で語った。

笑顔で出迎え ふたつ星に願う活気

 西九州新幹線の開業に合わせ、佐賀、長崎両県を周遊する観光列車として運行が始まった「ふたつ星4047(よんまるよんなな)」。JR武雄温泉―長崎駅間の海沿いの路線を1日1往復し、往路と復路でルートが異なるのが特徴だ。長崎駅発の便は長崎線から大村線に乗り入れ、大村湾を望みながら武雄温泉駅へ向かう。


千綿駅で観光列車「ふたつ星4047」(左)を見送る大勢の人たち

 新たな観光列車の登場を受け、大村線沿線では、にぎわい創出への期待が高まる。運行初日の9月23日、無人駅で日頃は静かな千綿駅(長崎県東彼杵町)は、新車両を一目見ようと詰めかけた鉄道ファンらでごった返した。


大村湾沿いを走る「ふたつ星4047」


 千綿駅のホームからは湾内を一望でき、木造のレトロな駅舎も人気を集めている。その景観を乗客に楽しんでもらうため、「ふたつ星」は同駅に10分間停車する。



 駅舎内で生花店を営み、切符販売や清掃もこなす下野恵美子さん(34)は、「乗客を笑顔で迎えたい。『千綿駅にまた来たい』と思ってもらえればうれしい」と声を弾ませる。


刻まれる「引き揚げ列車」の記憶

 JR大村線には戦後、満州(現・中国東北部)などからの引き揚げ者で混雑した駅がある。鉄道が国有だった頃の 南風崎(はえのさき)駅。大きな荷物を抱えた家族連れがここから次々と列車に乗り込み、故郷を目指した。


かつて引き揚げ者が故郷に帰る列車に乗り込んだ南風崎駅。現在は周囲の光景も様変わりし、往時をしのばせるものはほとんどない

 長崎県佐世保市・針尾島の浦頭港には139万6400人余りが上陸し、最寄りの同駅から1945年10月~50年4月に運行された専用列車は約1150本に上る。歌手の加藤登紀子さん(78)も、その列車を使った一人だ。


南風崎駅で列車に荷物などを積み込む引き揚げ者ら(撮影年月不明)=佐世保市浦頭引揚記念資料館提供

 加藤さんは満州のハルビンで生まれ、家族4人で帰国。同駅から母親の古里・京都へ向かった。当時2歳で記憶はないが、母親からは、窓のない貨物列車だったこと、大陸での移動が約1か月間に及び、疲れ切った体で乗車したことなどを聞いたという。



 現在の南風崎駅前には、引き揚げとの関わりを伝える案内板が掲示されている。加藤さんは「70年以上前に過酷な戦争があり、列車が多くの引き揚げ者を運んだことを忘れないでほしい」と力を込める。


省エネ車両は「やさしくて力持ち」

 車両の屋根に載った箱の中には、蓄電池が入っている。JR大村線などで2020年に導入された「YC1系」と呼ばれる次世代型のハイブリッド車両だ。


「YC1系」の屋根上に設置されている蓄電池などが入った箱

 基本理念は「やさしくて力持ち」。蓄電池のエネルギーを有効活用する省エネ型車両で、「YC」は「やさしい」と「力持ち」のローマ字表記の頭文字から取っている。


車体の側面に描かれた「YC1」のロゴマーク


 ディーゼルエンジンで発電したり、ブレーキ時に発生する電力を蓄電池に充電させたりし、モーターを回して走る。燃料消費量は従来の車両よりも約2割少なく、二酸化炭素の排出や騒音を抑えられるという。



 「YC1」と記された銀色の車両は、大村線のほか、それに接続する長崎線、佐世保線で見ることができる。


※ 年齢・肩書などは当時

動画(読売新聞オンライン)はこちらから

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