【鉄路ノート】島原鉄道 普賢岳を見つめてきょうも走る

企画

水田のそばを走る島原鉄道。後方は雲仙・普賢岳


 島原半島中央にそびえる雲仙・普賢岳をバックに、黄色いディーゼルカーが軽快に走る。車窓からは、約30年前の噴火によって山頂付近に形成された溶岩ドーム(平成新山)が見える。


 島原鉄道は長崎県諫早市と島原市を結ぶ全長43.2キロの私鉄で、1911年(明治44年)に開業した。地元では「島鉄」の愛称で親しまれている。海岸線に沿って弧を描くように線路が延び、有明海や諫早湾干拓地の眺めが楽しめる。



 噴火災害で一部区間が被災し、たびたび運休となった。97年の全面復旧後も客足は戻らず、2008年3月末、被災区間を含め、島原外港(現・島原港)―加津佐間を走る「南線」(35.3キロ)が廃止された。


沿岸部を走る車窓には、青い海が広がる


 その後、積極的にイベントを企画したり、観光列車「カフェトレイン」を走らせたりとファンを増やす取り組みを実施。観光客の人気を集めるとともに、地域の足として走り続けている。


(写真:木佐貫冬星、中島一尊)

<読売新聞 西部夕刊 2021.6.9~6.24 掲載>

土石流から守り抜いた線路

 「絶対に災害に負けるな」。長崎県島原市と南島原市の間を流れる水無川に架かる鉄橋で、島原鉄道鉄道課長代理(保線担当)の宮崎新悟さん(57)は、約30年前に作業員に何度もかけた言葉を思い出していた。


かつて被災した区間の水無川の鉄橋近くに立つ宮崎新悟さん。同区間は廃線となり、草むしている


 44人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の噴火災害は、鉄路にも影響を与えた。水無川周辺では雨が降るたびに線路が土石流に埋まり、運休を余儀なくされた。



 当時から保線担当だった宮崎さんは、土石流の警戒や復旧作業を指揮した。始発列車が出る前に川を見に行き、土石流の兆候がないか確認。線路に土砂が流れ込むとすぐさま作業員を集め、重機やスコップでかき出すよう指示した。作業は昼夜を問わず、2、3日続くこともあったという。


雲仙・普賢岳をバックに「赤パンツ」と呼ばれる塗装の車両が走る。1997年の全面復旧時にも走った塗装で、沿線住民らを勇気づけた


 「再び走り出す列車を見ると、達成感と使命感がわき上がってきた」と宮崎さん。利用者の減少で被災区間は廃止され、当時を知る社員も減ったが、「災害を乗り越えた経験を伝えていきたい」と語る。


「硬券」味があっていいでしょ!


今ではほとんど見られなくなった「硬券」


 年季が入った木棚に、ずらりと並んだ切符。乗客が買い求めるたびに、昔ながらの 改札鋏(かいさつばさみ)で駅員が切り込みを入れる。パチン――。 多比良(たいら)駅(長崎県雲仙市)の小さな駅務室に、小気味よい音が響き渡る。



 島原鉄道では「 硬券(こうけん)」と呼ばれる切符が今も残る。縦2センチ、横5センチほどの厚紙に発行駅や乗車区間、金額を印刷。六つの有人駅で販売し、このうち多比良駅では各駅への乗車券や入場券など約20種類を扱っている。


 かつては全国の鉄道会社で使われたが、自動改札機の普及などで徐々に姿を消した。収集のため、関東など遠方から足を運ぶ鉄道ファンもいるという。


島原鉄道で販売している硬券。右上の愛野(あいの)から吾妻(あづま)行きの切符は、「いとしのわがつま」と読む恋人たちに人気。左下の島原船津駅の切符には「ダッチングマシン」と呼ばれる昔ながらの日付刻印機で発売日を入れる


 硬券と知らずに購入し、家族で興味深そうに見入る観光客の姿も。駅員の安藤良子さん(59)は「地元では当たり前だけど、旅行で来た人には珍しいんですね。味があっていいでしょ」と笑った。


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「乗り鉄」から駅員に


島原鉄道に転職し、駅員として働く和田塁さん(中央)


 夕方の帰宅時間帯を迎えた本諫早駅(長崎県諫早市)。「ありがとうございます」。駅員の和田塁さん(42)は、改札前に列をつくった乗客に声をかけ、切符を確認してホームに案内していく。



 和田さんは、JR全線に乗車した経験を持つ鉄道ファンの「乗り鉄」だ。大阪府出身で、2018年に神奈川県の医薬品会社を退職してIターン。鉄道を巡る旅で一度乗っただけの島原鉄道に入社した。


 きっかけは、ひたちなか海浜鉄道(茨城県)が開いた講座だった。鉄道を軸にした地域活性化の取り組みに魅力を感じた。「乗る立場から、(鉄道会社の)中の人になってみたい」と転職を決意。複数の会社の採用面接を受け、島原鉄道の内定を得た。


漁港脇を走る列車。有明海を望む島原鉄道沿線には、小さな漁港が点在している


 地元の食材を使った料理を味わえる観光列車「カフェトレイン」のスタッフを務めることも。人一倍多くの列車に乗ってきた鉄道マンは「乗客の目線を大切にして頑張りたい」と意欲を見せる。


日本一海に近い駅


有明海(右)に面する大三東駅。上り、下りの列車が待ち合わせて行き交った


 列車からホームに降り立った瞬間、波音が聞こえてくる。目の前に広がるのは、有明海の雄大な景色。海岸線沿いに位置する 大三東(おおみさき)駅(長崎県島原市)は「日本一海に近い駅」として知られる。



 ホームでは、利用客が願い事を書いた約100枚の「幸せの黄色いハンカチ」がロープにつるされ、青い空と海に映える。島原鉄道が5年前から続けている企画で、「インスタ映え」を狙う女性観光客らに人気だ。


島原駅に展示されている上白石萌歌さん直筆の「幸せの黄色いハンカチ」


 カプセル入りのハンカチが出てくる販売機をホームに設置。6月からは、願い事を書いたハンカチを郵送すると、島原鉄道社員がホームに掲げる「リモート祈願」も受け付けている。


 4月には、飲料メーカー「キリンビバレッジ」(東京)が、この無人駅を舞台に製作したCMが放映された。女優の上白石萌歌さんが商品を手にホームに立つ姿が話題となり、連日多くの人が訪れているという。

地元高校生が古里の風景


高校生が古里の風景などを描いた看板が並ぶ島原駅のホーム


 雲仙・普賢岳や島原城、有明海に数々の特産品――。島原駅(長崎県島原市)のホームには、地元の高校生が古里の風景などを描いた看板が並び、訪れる観光客らの目を引いている。



 島原鉄道ではウェブ広告の増加などで駅の看板の広告が減少。空きスペースを活用しようと、島原市内の県立4高校に看板を使った作品制作を依頼した。各校の美術部員が縦135センチ、横350センチのカラフルな作品を1枚ずつ完成させた。


 車内では生徒たちの声を録音した観光案内も放送されている。過去には手作り菓子の販売も行うなど、高校生が様々な形で魅力発信に一役買っている。

 島原高3年で美術部の杉本梨々花(りりか)さん(18)は「自分たちの作品が掲示されるのはうれしい。島鉄は幼い頃からなじみのある存在。これからもずっと走り続けてほしい」とエールを送った。


「カタン、コトン」と音を残し、たそがれ時の空に溶け込んでゆく島原鉄道


※ 年齢・肩書などは当時


動画(読売新聞オンライン)はこちらから

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