【鉄路ノート】くま川鉄道 復興へ人吉盆地を走る

企画

夕日に照らされた田園地帯を走るくま川鉄道の列車

 人吉温泉駅(熊本県人吉市)と湯前(ゆのまえ)駅(同県湯前町)間の全14駅、24.8キロを結ぶくま川鉄道。「田園シンフォニー」と名付けられた3両編成の列車が、夕日に照らされた人吉盆地を走る。

 1924年(大正13年)に湯前線として開業し、その後、旧国鉄から分割民営化したJR九州から引き継ぐ形で、89年に第3セクターとして再出発した。



 2020年7月の九州豪雨では、球磨川第四橋梁(きょうりょう)が流失するなど大きな被害を受けた。21年11月に一部運行が再開されたが、現在も人吉温泉―肥後西村(にしのむら)駅(錦町)間は不通のままだ。


朝焼けの空の下、人吉盆地を駆け抜ける「田園シンフォニー」


 24年は湯前線開業100年、くま川鉄道開業35年。全線運行再開は25年度中を目指している。企画営業課長の下林孝さん(52)は「これからも地域の足としての役割を果たしたい」と話す。

(写真:秋月正樹、木佐貫冬星)

<読売新聞 西部夕刊 2023.3.10~3.30 掲載>

にぎわい響く生徒の声


乗降する高校生であふれかえる肥後西村駅のホーム

 熊本県のくま川鉄道沿線には高校が4校あり、1日の利用客の約9割を高校生が占めている。午前8時前、肥後西村(にしのむら)駅(熊本県錦町)に列車が到着すると、ホームは通学する大勢の高校生であふれかえった。

 2020年7月の九州豪雨の被災から再開した区間の西端にある同駅は、最寄りとする球磨中央高をはじめ全4校の生徒が利用するため、毎朝ごった返す。人吉、球磨工高の生徒は不通区間の人吉市方面へ向かう代替バスに乗り換え、南稜高の生徒は折り返す列車であさぎり駅(同県あさぎり町)へと向かう。


くま川鉄道の社員から卒業生たちへの祝福の寄せ書き。あさぎり駅の待合室に掲げられていた


 南稜高3年の女子生徒(17)は「被災して改めて鉄道の便利さを感じた。沿線の高校生にとって、くま川鉄道はなくてはならないものなので、早く元通りになってほしい」と話す。

車止めの先へ 全線開通一歩ずつ


人吉温泉駅方面(手前)に向かう線路に置かれた車止め。奥は肥後西村駅

 くま川鉄道の肥後西村(にしのむら)駅(熊本県錦町)から人吉温泉駅(人吉市)方面に向かう線路には、列車が先へ進めないよう「車止め」が置かれている。



 2020年7月の九州豪雨で、くま川鉄道は大きな被害を受けた。土砂で埋まった線路。濁流でホームがえぐられた駅。保有する車両5両は全てが水につかって使えなくなった。川村駅(相良村)と肥後西村駅間の球磨川に架かっていた国登録有形文化財の球磨川第四橋梁(きょうりょう)も流失し、当時は全線運休を余儀なくされた。


流失した球磨川第四橋梁の架け替え工事現場。手前の線路上には雑草が生い茂り、レールは見えない


 肥後西村―湯前駅(湯前町)間は21年11月に運行を再開した。人吉温泉―肥後西村駅間は現在も不通だが、今年1月には橋の架け替え工事が始まっている。25年度中の全線再開へ向け、少しずつ前進している。

あさぎり駅の仮設車庫で

 くま川鉄道のあさぎり駅(熊本県あさぎり町)に隣接する点検・整備用の車庫はとても小さい。建物の長さが10.5メートルしかなく、1両が18メートルある車両は半分程度はみ出してしまう。


九州豪雨で本来の車庫が使えなくなり、仮に設けられた車庫。土地の制約などで、建物は車両1両の長さにも満たない

 車庫は元々、人吉温泉駅(同県人吉市)にあったが、2020年7月の九州豪雨で同駅―肥後西村(にしのむら)駅間が不通となり、使えなくなった。代わりに運行区間で唯一、引き込み線があったあさぎり駅に仮の車庫を設けることに。ところが、車庫を建てる土地が限られていたことなどから、これ以上大きなものを建てられなかった。


人吉温泉駅に隣接する本来の車庫


 大がかりな点検が必要になっても、車体と台車を分離するために車両をクレーンでつるすことはできない。荒天になれば、風雨が降り込む中での作業にもなる。

 検修係の岡原亨さん(40)は「本来の車庫と比べると制約も多いが、全線再開に向けてしっかり整備を行いたい」と話す。

消えゆく光景 スタフの交換

「スタフ、サンカクです」

 列車があさぎり駅(熊本県あさぎり町)に到着すると、駅員が運転士に声をかけながら輪の付いたケースを交換する。中身は「スタフ」と呼ばれる通行手形。人と人が手渡しする光景は、九州では今や、くま川鉄道でしかみられなくなった。


運転士と「スタフ」を交換する駅員

 鉄道の運行者は長い路線を一定の間隔で区切り、一つの区間に1本の列車しか入れないことで、衝突などの事故を防ぐ。スタフはそれぞれの区間を走行するための「許可証」のようなもので、受け取って初めてその区間を走ることができる。

 くま川鉄道のスタフは金属製で、「△」と「〇」の形が入っている。区間は肥後西村(にしのむら)(錦町)―あさぎり駅、あさぎり― 湯前(ゆのまえ)(湯前町)駅の二つで、両区間の境目であるあさぎり駅では、2種類のスタフを交換する様子が見られる。


くま川鉄道で用いられている金属製の「スタフ」(左)。右のケースに収められて使用される


 多くの鉄道会社は現在、区間内の列車の走行状況を信号機などが自動的に検知するシステムを採用している。あさぎり駅で業務にあたる大平響(きょう)さん(36)は「スタフ交換を目当てに訪れる鉄道ファンも多い」と話す。

球磨工高生 駅のほこら再建

 熊本県立球磨工業高(熊本県人吉市)の一室で2月下旬、生徒たちが手際よく木材を切っていた。2020年7月の九州豪雨で被災したくま川鉄道・川村駅(相良村)のほこらを再建するためだ。


森下さん(右)の指導を受けながら、ほこらを制作する球磨工業高の生徒

 同駅に最初のほこらができたのは17年。近くに学問の神様・菅原道真をまつった「十島菅原神社」があり、「生徒がホームでもお参りできるように」と同高実習助手の森下光希さん(24)ら当時の生徒有志が制作した。



 そのほこらは九州豪雨で濁流にのみ込まれ、今も見つかっていない。「作ったものがなくなってショックだった」と森下さん。「復興のためになれば」と昨年4月から授業の一環として建築科の生徒約10人で再建に取り組み、2月下旬に完成。3月、くま川鉄道に寄贈された。


ほこらが設置されていた川村駅。不通区間にあり、現在も豪雨災害の爪痕が残る


 九州豪雨の影響で不通区間にある同駅の再建は道半ば。ほこらが駅に戻り、「地域の人に愛される場所になってほしい」と携わった皆が願う。

ブルートレインの旅情しのぶ宿


寝台特急「はやぶさ」で帰省していた頃を懐かしむ宮原さん

 くま川鉄道の多良木駅(熊本県多良木町)そばに、変わった簡易宿泊施設がある。かつて東京駅と西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)や熊本駅間を結んでいた寝台特急列車「はやぶさ」の客車3両を使った「ブルートレインたらぎ」。2009年の廃止後、多良木町が買い取って活用している。



 2両は宿泊用で2段ベッドの4人がけタイプと個室タイプがある。残る1両はテレビやテーブルが置かれた交流スペースで、乗務員室や洗面台などもある。


多良木駅近くにある「ブルートレインたらぎ」。すぐ横をくま川鉄道の列車(左)が走る


 同町出身で福岡市南区の会社員宮原正さん(77)は年に3、4回、帰省のたびに宿泊する。東京で働いていた20歳代の頃は東京駅から「はやぶさ」に乗り、多良木駅まで帰っていた。「車内の雰囲気はほぼ当時のまま。思い出がよみがえります」と懐かしむ。

 列車として走ることはなくなった。だが、利用客を温かく受け入れる様子は今も昔も変わらない。

復興の原動力に前を向く

 くま川鉄道運転士の椎葉悠太さん(27)は、沿線の熊本県あさぎり町出身。小学生の頃は人吉市に買い物や病院に行く祖母と一緒に、毎週くま川鉄道を利用していた。


地元出身で、くま川鉄道の運転士の中で最も若い椎葉悠太さん

 地元の鉄道で地域に貢献したいとの思いから、2016年に同社へ入社。現在9人いる運転士の中では最も若い。

 20年7月の九州豪雨では、球磨川第四橋梁(きょうりょう)が流失。被災前日も列車を運転して橋を渡った。路線で一番のシンボルだっただけに、初めは橋が流されたことが信じられなかった。


運転席に座る椎葉さん


 21年11月に一部運行再開した際には、一番列車の運転を任された。「沿線から多くの人たちが手や旗などを振る姿に励まされ、元気と勇気をもらった。復興に向けて乗り越えていく原動力となっている」と前を向く。



※ 年齢・肩書などは当時

動画(読売新聞オンライン)はこちらから

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