【鉄路ノート】南阿蘇鉄道 雄大な山々を背にゆっくりと
阿蘇の雄大な山々を背景に、3両のトロッコがディーゼル機関車に引かれてゆっくりと走っている。沿線には菜の花やシバザクラが鮮やかに咲き誇る。
南阿蘇鉄道は熊本県の高森町と南阿蘇村を走る第3セクター。2016年4月の熊本地震で、トンネルの内壁がひび割れるなど被災し、全17.7キロのうち中松―立野間の10.6キロが不通のままとなっている。比較的被害が小さかった高森―中松間は同年7月から運転を再開。平日は1両のディーゼル車が3往復するだけだが、土日祝日や大型連休、夏休み期間中などは観光向けのトロッコ列車「ゆうすげ号」が運行している。
甚大な被害を出した大地震から5年、同鉄道が計画する全面復旧は23年だ。
(写真:久保敏郎、木佐貫冬星)
※南阿蘇鉄道は現在、全線復旧しています
<読売新聞 西部夕刊 2021.4.3~4.19 掲載>
現存する木造駅舎
2016年4月の熊本地震で甚大な被害を受けた南阿蘇鉄道は、熊本県南阿蘇村の立野―中松間(10.6キロ)で不通が続く。立野駅の隣の長陽(ちょうよう)駅も列車の運行が途絶えたままだ。
1927年建築の木造駅が現存するのは全国的にも珍しく、映画やドラマの撮影地としても活用される。駅舎で06年からカフェ「久永屋」を経営する久永操(そう) さん(40)は、村から委託されて駅の補修や維持に努めてきた。柱などを強化していたためか、地震の揺れにも古い駅舎は耐えた。
佐賀市出身で以前は東京で働いていたが、壮大な風景と豊かな自然が気に入って移住した。週末には軒下でカフェを開き、自慢のシフォンケーキを提供する。久永さんは「古き良き時代を感じさせる駅を守り、将来に残したい」と話す。
見晴台、門出のホーム
白無垢(むく)姿の花嫁と和装の男性が、仲むつまじくカメラの前でほほ笑む。4月6日、南阿蘇鉄道のホームと列車が、婚礼用の撮影に一役買った。
熊本県高森町職員の児玉海人さん(26)と妻の理紗さん(27)。熊本地震からの復興をテーマに、カップルの写真撮影を企画していた北九州市のカメラマンや美容師らでつくる制作グループから、モデルの依頼を受けた。2人は結婚しているが、新型コロナウイルスの影響で挙式ができていなかった。
かつて2人で行ったキャンプ場などを巡って撮影した後、高森―中松間を定時運行する列車で移動。見晴台(みはらしだい)駅(南阿蘇村)では列車から降り、停車時間内で慌ただしく撮影が行われた。
児玉さんは「特別な思い出になりました。コロナが収まったら結婚式を挙げたいです」と喜んでいた。
犬駅長がお出迎え
2020年10月、南阿蘇鉄道の阿蘇白川駅(熊本県南阿蘇村)に犬の“駅長”が就任した。シバ犬の雄で1歳の「ゆう」だ。
土日祝日などに走る観光トロッコ列車「ゆうすげ号」の運行日に合わせて出勤し、列車の音が聞こえると、ホームにある駅舎の形の小屋から出てきて乗客を迎える。車掌に紹介され、記念撮影に応じるなど愛らしい姿で人気を集める。
飼い主は熊本県菊陽町の自営業宮本忠雄さん(65)。地震後の南阿蘇鉄道を盛り上げたいと駅長就任を申し出て実現した。最近はSNSでも話題となっており、駅長目当ての観光客も訪れる。
宮本さんは「乗客が笑顔になれるよう、少しでも貢献したいです」と話している。
トンネルは人気の観光名所に
イルミネーションで彩られたトンネル内が、青や赤、白などの光できらめく。高森湧水トンネル公園(熊本県高森町)は元々、国鉄高森線(現・南阿蘇鉄道)と国鉄高千穂線(廃線)をつなぐ鉄路になる予定だった。
1973年12月、長さ6480メートルに及ぶトンネル工事が始まった。だが、2000メートルほど掘削が進んだところで、大量の水があふれ出た。対策を施しても水は止まらず、国鉄の経営難も重なって計画は頓挫した。
この水を生かそうと、町が94年に入り口から550メートル部分を整備し、公園にした。気温は年間を通じて17度前後に保たれ、人気の観光スポットになった。熊本地震から5年。トンネルは今年も多くの観光客を受け入れる。
※ 年齢・肩書などは当時
※南阿蘇鉄道は現在、全線復旧しています
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