真ん中に「どこでもドア」のようなピンク色の扉がある不思議な廊下。福岡県田川市の山あいに位置する小学校跡地に登場した多機能交流施設「いいかねPalette(パレット)」が、地域の新たな活力を生む個性的な拠点として注目されています。
新たな体験の玉手箱
猪位金小の旧校舎に歓声
施設は、140年の歴史を刻み、2014年に廃校になった旧猪位金(いいかね)小の施設を活用して運営されています。「田川を元気にするために」の合言葉のもと、行政と民間がタッグを組んで2017年にオープンしました。
起業を目指す人を支援したり、音楽や映像などクリエイターの活動をサポートしたりすることを目的に生まれた施設。専門的な人材が集う一方で、子どもからお年寄りまで幅広い世代が気軽に訪れる場として、地域に溶け込んだ存在になっています。
いいかねパレットのモットーは、「何でもできる世界を作る」「どこでもできる世界を作る」――。
そんな場所にふさわしいオブジェをと、オープン時に設置されたピンク色のドアはすっかり施設の顔に。「訪れた人は必ず写真を撮る」という人気のスポットです。
広報を担当する久保田鈴菜さん(23)の案内で、施設内をぐるりと歩いてみました。
卓球や漫画を楽しめるスペースや、TVゲームコーナーなど子どもが無料で遊べる設備があるほか、泊まり込みで制作に打ち込めるようなプロ仕様の音楽スタジオなども用意されています。
毎月行われる「月一マルシェ」やコンサートなど、多彩なイベントを定期的に開催しているのも施設の特徴です。
8月中旬には、地元のアーティスト・高津麦さん(27)による作品展「化ける」が開催されました。会場には多彩なお面が並び、体験コーナーでは多くの子どもたちが思い思いのお面作りに挑戦しました。
高津さんは「学校内で作品を展示するという”違和感”がいいですね。定期的にここで展示できれば」と会場を気に入った様子でした。
食べて学んで広がる交流
施設には飲食店もあります。入り口の黒くて丸い扉や、室内いっぱいに広がる巨大な円形の台座が、インスタ映えスポットとしても人気の「おいとま食堂」。元給食室を改装してオープンし、看板メニューのチキン南蛮定食が好評です。
かつてのランチルームを改修したシェアライブラリーは、自然光が差し込む開放感あふれる空間。コワーキングスペースのほか、読書や勉強、さらに調理や飲食など、思い思いに時間を過ごせる団らんの場としてにぎわいます。水道やガスはもちろん、鍋や皿、簡単な調味料も無料で使用できます。
夏休みの平日、放課後のデイサービスで児童らと天ぷらを調理する大人たちの姿がありました。児童に同行した支援員の石原充子さん(63)は「最近は毎日のように来ています。今日は子どもたちが魚を食べたいというので、教えながら一緒に作りました。近くにこの施設があって、ほんとうに助かります」と食事を楽しんでいました。
コロナ禍の前には、中庭やシェアライブラリーなど施設全体を使った音楽フェスが開催され、数百人規模の参加者で盛り上がることもあったそうです。
体育館も1時間2000円で、まるごと貸し切りにすることができます。地域の空手教室や体操教室、部活動の合宿などにも使われ、風雨の影響を受けない広い空間を生かしてドローンの講習も行われているとのことです。
撮影や演奏も楽しめる♪
とくに今、若い人の注目を集めているのが、普段は上がることのできない屋上での撮影。コスプレのほか、学校を舞台にしたSNS動画を撮る人が多いそうです。
屋上には柵がない部分もあり、安全な範囲内での撮影を呼びかけています。自己責任で対応することを誓約書にサインして、1時間2000円で楽しめます。
さらに、照明セットを備えた本格的なセルフフォトスタジオも整備しました。機材はすべて貸し出し。三脚に固定したカメラのシャッターを手元のリモコンで押し、カメラマン要らずで自由にポーズをとって写真を撮れます。
気を許せる仲間で楽しめるのが一番の魅力。お年寄りや小さな子どもも、リラックスして自然な表情の写真が撮れると好評です。撮影データはすべて、その場でスマートフォンに転送できます。
メイクルームや更衣室も備えたこの本格的なスタジオは、人数に応じて40分2000円から利用できます。久保田さんが、福岡市・天神ではやりのスタジオに現役大学生と一緒に視察に出向き、かぶりものや人気の小道具も準備して作り上げました。
かつて児童の靴箱が並んでいたスペースには、ドラムやベース、太鼓などの楽器が並び、自由に演奏することができます。北九州市若松区から母親や友人家族と一緒に訪れていた小学2年の杉元琴音さん(8)は夢中になってドラムを初体験しました。
「ピアノは弾けるけれど、ドラムを一度たたいてみたかった」と、友人と一緒に即興の音楽会を開き、笑顔の花が咲きました。
またプールがあった場所には、メダカの養殖販売所「めだかのガッコウ」ができ、大分県や山口県など隣県からも愛好家らが訪れます。プールサイドには大小約250個の水槽が並び、200種以上、1万匹を超えるメダカが泳いでいます。
都会にはない暮らし
”学校”で寝泊まりできる
夜の学校に泊まって、思う存分に語り合ったり、遊んだりしてみたい――。子どもの頃に抱いた”冒険心”もかなうのが、いいかねパレットのもう一つの特徴です。
野球の合宿など短期の利用から、移住と呼んでもいいような長期滞在まで可能。久保田さんは「昔の校舎を使った宿泊施設で、これだけ長く滞在できるのは全国でも珍しいのでは」と言います。廃校の新たな活用例として注目を集めているようです。
校舎2階にある長期宿泊用の部屋は、個室、ドミトリー、雑魚寝の3タイプ。雑魚寝部屋は、教室の床に線を引いて六つに区切っただけのフリースペース。テントを張ったり、ベッドを置いたり、思い思いの生活空間を作り上げているそうです。
聞くと、小学校の教員をはじめ”定住”している人も多いらしく、一緒に食事をとったり、温泉に出かけたりと、ここでの暮らしを満喫しているとのことでした。
長期滞在で育まれる絆!
「少し都会を離れてみようかな」と関東や関西からお試しで1泊したところ、出会った人たちの魅力にひかれて、そのまま1か月ほど滞在した人も少なくないそうです。
家具、家電、シャワーが完備され、かばん一つで「すぐに住める」とのこと。1か月の滞在費は、光熱費込みで2万円からです!!
「プライバシーが守られないのは苦手……」という人には、計40床のドミトリーも用意されています。実は久保田さんもかつてはドミトリーの利用者で、なんと1年8か月も“住んだ”そうです。
専門学校生だった18歳の頃、弾き語りをしていたという久保田さん。施設には毎日のように演奏などで顔を出してました。施設の関係者に誘われ、試しに1泊したところ「合宿生活のような雰囲気」が楽しく、滞在期間が延びていったとのことでした。
今は田川市内の実家から施設に通っています。久保田さんは「みんなで誕生日をお祝いしたり、花火やスイカ割りをしたり、ときには旅行に出かけたり、小さなパーティーの連続で楽しかったです」と、ここでの生活を笑顔で振り返ります。ドミトリーの利用料は1か月3万円です。
ほかに、教室を4等分に仕切った個室もあり、利用料は1か月4万円とのことです。
施設内はどこでもインターネットにつながり、会議室やその時々で気に入った場所、自分の寝床がある部屋などでリモートワークもできます。
教員のほかにイラストレーターやライター、職を失って”心のリハビリ”をする人のほか、都市部から泊まりにやって来てそのまま住みついている人も多いといいます。最長は、滞在3年を数える教員で、現在も記録を更新中です。
「田川は都会ではないのに、なぜか家賃が高いって言われるんです。ここは敷金なども要らず、格安で生活できるので人気があるようです」と久保田さんは話します。
個性が奏でるハーモニー
福岡県内でも屈指の難読地名といわれる猪位金地区に、いいかねパレットが誕生してから6年あまりがたちました。
人や情報など、個性あるさまざまな色がパレットの上で混ざり合い、自然豊かな猪位金の地で”いい鐘”の音色を響かせながら、新しいハーモニーを奏でます――。
大勢の子どもたちの夢を育んできた校舎は、廃校という節目を経て、新しい時代の輝きを放つ場所へと進化を続けています。
「ふらっと たがわ」は、福岡県田川市の意外に知られていない”横顔”や地域の魅力を紹介するコーナーです。
<バックナンバー>
1. はじめての田川まち歩き 昭和がかおる人情商店街をみつけた