【熊本】南阿蘇鉄道が全線再開 一番列車運転士「感無量」 

 熊本地震からの「完全復活」を象徴する列車が、阿蘇地域の山野を駆け抜けた。第3セクター・南阿蘇鉄道(南鉄、熊本県高森町)が被災から約7年3か月ぶりに全線で運転を再開した7月15日、駅や沿線はお祝いムードに包まれた。


運行準備のため運転席に乗り込む寺本顕博さん

やっと抜けたトンネル

 「感無量。沿線の多くの人が駅で迎えてくれ、私たちの鉄道が愛されているんだなと感激しました」。一番列車の運転を終え、終点・立野駅のホームに降りた最古参の運転士、寺本顕博さん(68)は晴れ晴れとした笑顔で語った。

 熊本市出身。JR九州の運転士として豊肥線で勤務した経験から「生まれ育った熊本の山野で働き続けたい」と、2006年にJR九州から南鉄に出向した。

 運転業務に専念して乗客との会話がほとんどなかったJR時代から一転、南鉄では運転士も複数の業務をこなしていた。阿蘇の山々や白川水源など沿線の魅力を車内アナウンスで伝え、駅では切符や土産販売も行って乗客と交流する仕事は、たちまち生きがいになった。

 そんな日々は熊本地震で一変した。16年4月16日未明の本震では熊本市内の自宅も激しく揺れた。テレビは線路の流失や橋脚の破断といった深刻な被害を伝えていた。沿線の点検で実際に被害を目の当たりにし、「気持ちが真っ暗になった」と振り返る。

 全線運休を余儀なくされ、駅の草取りや線路脇の排水溝を掃除しながら、「なんとしてでも復旧してほしい」と気持ちをつないだ。

 比較的被害が小さかった区間で、同年7月に部分運転が始まった。運転士の業務に復帰し、連休中などに運行する観光トロッコ列車では観光案内と車掌業務をこなした。「一日も早い全線復旧を願っています」などと語りかけてもらい、「全線再開を見届けたい」との思いを強くした。19年9月にJRを定年退職し、南鉄で契約社員として働き続ける道を選んだ。


始発列車の出発前に、列車の点検などを行う寺本さん

 「地震前から南鉄への情熱を持ち続けるベテランに記念すべき運行をしてほしい」

 7月7日、中川竜一鉄道部長(52)から全線再開の一番列車の運転士を任せると伝えられた。

 長いトンネルをやっと抜けることができた――。この日は、そんな思いでハンドルを握った。「体が続くまで運転を続け、お客様に楽しんでもらいたい」


advertisement

「おかえり南鉄!」

 駅や沿線では住民らが小旗を振り、横断幕を掲げて喜びを分かち合った。


高森駅を出発するセレモニー列車の見送りに集まった人たち

 一番列車に乗り込んだ大阪府吹田市の男性(57)は、長男(11)と乗車。熊本地震では熊本市の実家で被災しており、「南鉄の復活に勇気づけられた」と語った。

 立野駅前にある老舗菓子店「ニコニコ屋」は、午前4時頃から準備した名物の「ニコニコ饅頭(まんじゅう)」100個を駅のホームで配った。4代目の高瀬大輔さん(51)は「南阿蘇全体がにぎわってほしい」と期待した。

 若手住民らでつくる「立野わかもん会」のメンバー14人は「おかえり南鉄!」の旗を振った。郷聖典会長(39)は「7年間さみしい思いをしたが、観光が盛り上がり、みんなが笑顔になれる」と喜んだ。

 高森駅で午後、蒲島郁夫知事らが記念式典の参加者が乗車したセレモニー列車に、「出発進行」と合図を送った高森高3年の生徒2人。来週からの列車通学に「不安もあるが楽しみ」と話した。

 節目の運行は複数の運転士が担った。運転士の内川聖司さん(68)は「日常が帰ってきた。地域の人、全国の皆さんと一体となって南鉄の新しい歴史をつくっていきたい」と意気込んだ。

 JR豊肥線の肥後大津駅にも初めて乗り入れ、住民ら約200人が太鼓の演奏などで祝った。県は同駅から熊本空港への延伸計画を打ち出しており、大津町の金田英樹町長は「空港とつなぐゲートウェーの街として、全県の発展につなげたい」と力を込めた。


advertisement