長浜屋台とは
■長浜屋台とは
読売新聞西部本社の連載「ラーメン人模様」によると、長浜屋台街の歴史は1955年から始まりました。当時、博多区の大浜にあった魚市場が中央区の長浜に移転したことをきっかけに、そこで出店していた屋台も移動したそうです。
長浜では、競りの合間に駆け込む市場関係者のために、ゆで時間の短い極細面や替え玉が誕生したとも言われています。
福岡市の資料などによると、1960年代には中洲や天神、長浜などに400店を超える屋台があり、人々の交流の場や観光資源となっていました。しかし、通行人の妨げとなるほか、騒音や悪臭などの問題もあり、1995年には屋台の新規参入が原則禁止されました。店主の高齢化も進み、長浜の屋台も最盛期の15軒から、一時期1軒だけという状態になりました。
屋台消滅の危機に際し、福岡市は2013年に全国で初めて、屋台とまちの共生を目指す条例を制定しました。中洲や天神と比べ、長浜の新規出店は進みませんでしたが、条例制定10周年となる今年、長浜で7軒が新規出店しました。