脱東京に勝機あり? 北九州に「移住」した落語家・橘家文太さんに聞いてみた

 新型コロナウイルスの感染拡大を機に首都圏を離れて地方に移住する動きが出ている。今年2月に二ツ目に昇進した落語家・橘家文太さんは8月、古里の北九州市に拠点を移した。落語界にも「移住ブーム」の兆しだろうか。文太さんにわけを聞いた。


橘家文太さん

1987年生まれ。北九州市八幡西区出身。2014年入門。2020年2月に二ツ目に昇進し、「文太」に改名した。出ばやしは炭坑節。落語協会所属。


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上京するも光は当たらず

 北九州で育った10代は絵に描いたようなやんちゃ者。中学を卒業して塗装工の職に就いた。

 「北九州の"あの成人式"までは、将来のことなんて何も考えていませんでした。ただ、いつか地元を出て一人で勝負したい気持ちはありました。漠然と『東京に出てビッグになる』くらいにね」。数年かけて貯めた資金を手に、23歳で上京した。


 学歴もなければ、人脈もない。当然、仕事の当てもない。とりあえずの生活費を稼ぐため、東京・中野のキャバクラで客引きやボーイとして働いた。ビッグになるどころか、光の見えない生活が続いた。

 「楽しかったのは最初だけで、東京にはなかなかなじめませんでしたね。結局は地元がいいなって」。東京での生活は居心地の悪さばかりがつのった。それでも、地元に逃げ帰ることにはあらがった。


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「落語ってすげぇなって」


 上京して3年。買い物に出たとき、新宿の飲食街で寄席の前を偶然通りかかった。入り口の男に聞くと、「落語をやってる」と言う。落語の知識はゼロ。「へぇ、『笑点』をやってるのか」と、木戸銭(見物料)を払って席に着いた。

 大喜利を想像していたのに座布団は一つだけ。

 「死にかけのじいさんが出てきてぼそぼそしゃべるわけですよ。そしたら客席が徐々に沸いて、最後は大爆笑。完全にカルチャーショックで、『何だこれは』ですよ。落語ってすげぇなって」



 師匠になる橘家文蔵(当時・文左衛門)さんの高座にも触れた。「こわもてでね。懐かしさというか、地元・北九州を感じました」。それからしばらくして、中野で文蔵さんの独演会が開かれるのを知る。「あん時の人だ」と、文蔵さん目当てで足を運び、入門を決意した。

 入門して知るが、文蔵さんは東京・小岩の出身だった。


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二ツ目昇進、そして福岡へ

 今年2月、前座から二ツ目に昇進した。名前も「門朗(もんろう)」から「文太」に。そこで師匠から福岡行きを勧められた。

 落語界では、寄席のない福岡への「移住」は過去に例がないという。

 師匠がなぜ勧めたのか、理由を直接聞いたことはないという。「福岡の将来性を買ったんじゃないかな。私には地元の人脈もあるし、なにより地元が好きなのをよく理解してくれています」と想像する。


 二ツ目に成り立ての落語家が、寄席のない福岡で食べていくには苦労も多い。都内では週末にもなると、そこかしこで落語会が開かれる。福岡では自ら営業して、出演先を開拓していかねばならない。

 引っ越してきて、真っ先に車を買った。折りたたみ式の高座道具を積んで、どんな場所でも落語会が開けるようにするためだ。「こっちでの生活は大変だろうけど、落語界の誰もやっていないことに挑戦している。楽しみでしかない」と言う。



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いつか福岡にも寄席を

 夢は、いつか福岡に寄席ができて、その高座に上がること。

 「福岡では、落語を聞いたことない人が大多数。落語は敷居が高いと思われているが、そんなことない。気軽に楽しんでほしいんです」と話す。


 コロナ禍と重なった福岡移住。世間では首都圏を離れて地方に居を移す人が増えている。その状況に「落語界のパイオニアですね」と笑うが、「東京に戻るつもりはありません」とすぐに真剣な表情に戻る。揺るぎない覚悟を持って、"福岡在住"の落語家・橘家文太の挑戦が始まった。



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