「帆柱山」と呼ばれて・・・ 「皿倉山」の名前を巡る謎を追った
記事 INDEX
- 帆柱山じゃありませんけど・・・
- あちらこちらに混乱?の跡が
- なぜ違う名前が広まったの?
北九州市八幡東区の「皿倉山」(622m)は山頂から北九州の市街地を一望することができ、行楽シーズンには家族連れらでにぎわいます。ただ、年配者を中心に山の名前を「帆柱山」(488m)と取り違えて覚えているケースが少なくないようです。周辺の地名や校歌などにも残る〝混乱〟の原因を探ろうと、現地を訪ねました。
「帆柱」がいっぱい!?
JR八幡駅の改札を抜けて駅前広場に立つと、青々とした山が迫るようにそびえていました。皿倉山です。頂上に立つ巨大な鉄塔となだらかな稜線が存在感を際立たせます。
皿倉山を目指して進むと、交差点が目に入りました。その名称は「帆柱登山口」。さらに行くと「帆柱登山道」の標識もあります。そもそも、一帯の住所表記が「帆柱」です。路上ですれ違うお年寄りに帆柱山の場所を尋ねると、大半の人が自信満々に皿倉山を指差します。
頂上へと続く「皿倉山ケーブルカー」の山麓駅に到着しました。「皿倉山」の文字を見て、なんだか安心します――。
駅員さんが教えてくれました。「4年前までは『帆柱ケーブル』という名前だったんですよ」。頭の中がまた混乱してきました・・・・・・
あの白秋も間違えた?
〽帆柱山の空近く 仰げよ風のすずしき緑・・・・・・
皿倉山麓にあった旧平原小学校の校歌は「帆柱山」で始まります。ところが、校庭から見えるのは皿倉山。帆柱山は山頂も尾根も見えません。作詞したのは、柳川出身の詩人・北原白秋。同校の保護者や教員らが1986年に発行した記念誌「校歌と白秋」に、校歌が誕生した経緯が記録されています。
校歌が作られたのは1930年。旧八幡製鉄所の所歌を作るためにやってきた白秋に同郷の教員がかけ合うと、白秋は快く応じたそうです。記念誌には、同校校長を務めた男性による「平原校校歌物語」も収録されています。白秋は1人で運動場に立って山を見上げ、「校歌が出来たばい」と語った――と記されています。
北原白秋生家・記念館(福岡県柳川市)によると、白秋は八幡に滞在中、製鉄所歌などを手がけますが、やはり「皿倉」ではなく「帆柱」の名前が登場するとのことです。高田杏子副館長は「この地の名山を帆柱山と強く認識していたのでしょう」と推測します。