1964年東京大会の興奮を今に 修猷館高校に残る色鮮やかな五輪旗
記事 INDEX
- 安川電機の創業者が寄贈
- 運動会の入場行進に登場
- 「世のため人のために」
福岡県立修猷館高校(福岡市早良区)に、1964年の東京オリンピックで国立競技場に掲げられた五輪旗が残っています。なぜ東京から遠く離れた福岡の地に保管されているのでしょうか。学校を訪ねて経緯を聞きました。
安川電機の創業者が寄贈
県内屈指の進学校として知られる修猷館高校。南門の左手にある小さな木立の中に、学校に関する様々な資料を収めた修猷資料館があります。
学校の歴史を示したパネルが並ぶ第2展示室を進んでいくと、一角に五輪旗が飾られていました。前回の東京五輪のメインスタジアムだった国立競技場で翻っていたもので、縦約1.4メートル、横約2メートル。額縁の中の旗は少しくすんではいますが、スポーツの祭典を象徴する五色の輪が鮮やかに浮かび上がっています。
「寄贈したのは安川電機の創業者、安川第五郎さんです」。修猷館高に長く勤める講師の渡辺公利さん(70)が教えてくれました。
1784年(天明4年)に藩校として誕生した修猷館は230年を超える歴史を持ち、様々な著名人を輩出しています。安川もその一人で、1906年(明治39年)に卒業後、東京帝国大学で電気工学を学び、のちに産業用ロボットの世界的メーカーとなる安川電機製作所(現・安川電機)を1915年に創業しました。戦後も九州・山口経済連合会(現・九州経済連合会)の初代会長に就くなど経済界のために尽くしました。
安川は東京五輪前年の1963年、組織委員会の会長に就任。64年1月には、安川を激励する会が修猷館高で行われました。渡辺さんによると、会長の大役に不安を感じていた安川は、母校で受けた大きな励ましに勇気づけられたといいます。
運動会の入場行進に登場
安川の尽力もあり、大会は無事に成功。安川は65年1月、感謝の気持ちを伝えるため、母校を訪問しました。生徒や保護者らを前に講演して、アジアで初めて開催された五輪の様子を報告し、IOCから譲り受けた五輪旗を母校に寄贈しました。
以降、修猷館高の運動会では、生徒が五輪旗を掲げて入場行進を行っています。今はレプリカを使用していますが、伝統は健在です。生徒の中から委員を募り、組織づくりから当日の運営まで生徒自身が行う独特の開催方法も続いています。渡辺さんは「ある意味、安川さんが組織委員会でやったことを学ぶ形です」と語ります。
「世のため人のために」
資料館には五輪旗のほかにも、聖火リレーで使われたトーチや安川の著書などが展示されています。修猷館高に入学した生徒は、必ずこの資料館に足を運び、五輪旗や学校の歴史について学習するそうです。
修猷館高には世のため人のためになる人材を育成する理念があるという渡辺さん。「安川さんはスポーツを通して国際理解や平和を促進するために頑張りました。生徒にはその生き方を学んで将来に生かしてほしい」と話しています。