福岡城跡に”幻”の天守閣 桜咲く舞鶴公園を七色の光で演出
記事 INDEX
- 「さくらまつり」に合わせ
- 存在を巡って議論は今も
- 潮見櫓は来春に完成予定
突然現れた光景に目を見張った。福岡城跡が広がる福岡市中央区の舞鶴公園。芝生の先の石垣の上に見事な天守閣がそびえていた。高さ14メートルほどで、よく見ると金属パイプを組み合わせて作られているのが分かる。
「さくらまつり」に合わせ
「福岡城さくらまつり」(3月27日~4月7日)に合わせて初披露される「幻の天守閣」。まつりの開幕から5月末までの期間限定で、LED照明により18~22時にライトアップされ、春の公園を七色の光で彩る。
福岡城は、黒田長政が1601年(慶長6年)から7年をかけて築いた。東西1キロ、南北700メートルで、全国有数の規模を誇る。本丸、二の丸、三の丸に分かれ、1957年に国史跡に指定された。
現在、福岡城の北西の隅では、潮見櫓(やぐら)の建物を復元し、下之橋御門、伝潮見櫓とともに江戸時代の城の様子をよみがえらせる試みが進められている。ソメイヨシノのつぼみの膨らみを感じながら、整備が進む城の周辺を、カメラを手に歩いた。
存在を巡って議論は今も
福岡城天守閣については、「四層五階の南蛮造り」「十数年で取り壊された」などの説があり、存在そのものを巡っても議論が続いている。史実をはっきりと示す古文書や絵図などが確認されておらず、復元は困難とされている。
市によると、期間限定で登場する仮設の天守閣は2月半ばから作り始め、1か月弱で骨組みができあがった。大濠公園や舞鶴公園の広場から望むと、400年の時を超えて石垣の上に天守閣がよみがえったように見える。今回の”復元”のモデルになった城はなく、全国各地の天守閣を参考にデザインしたそうだ。
天守台の基礎となる石に鉄骨が触れないよう配慮し、周囲を補強しながら組み上げたという。骨組みの周辺では、ゆがみなどがないか離れた場所から仕上がりをチェックする職人たちの姿が見られた。
芝生広場を散策していて、天守閣に気づいたという福岡市西区の男性(61)は「お堀と石垣だけだと寂しい感じだけれど、まるで見栄えが違いますね」と驚いていた。
潮見櫓は来春に完成予定
大濠公園の方へと足を延ばすと、高さ約10メートルの潮見櫓の復元工事が進んでいた。こちらは、“幻“ではなく、存在したことが確認されている。市によると、江戸時代に47以上あった櫓の一つで、博多湾の様子を監視していたという。
老朽化などで大半の櫓が解体される中、潮見櫓は明治時代に博多区の崇福寺に払い下げられ、仏殿として使われた。復元に際しては、崇福寺から古材を譲り受け、江戸時代の柱や梁(はり)、瓦などを再利用することに。そうした古材は建物全体の約4割を占めるという。腐食した部分は新しい木材で繕い、2025年春に完成する予定だ。
特別に許可を得て復元作業が進む現場に入ることができた。櫓の屋根の上では、2人の職人が竹の釘(くぎ)を使って、瓦の下ぶきに薄い杉の板を取り付けていた。石垣を守るために、土台には鉄骨やコンクリートを用いるが、竹製の釘をはじめ可能な限り建築当時と同じ素材を使い、工法も踏襲しているそうだ。
春の日差しの中、芝生が一面に広がる広場で子どもたちの歓声が聞こえた。腰を下ろして、石垣の上にそびえる天守閣を見る。周囲では3月下旬になると、ソメイヨシノやヤマザクラ、八重桜など19種類、約1000本の桜が咲き誇る。
一帯が鮮やかなピンク色に染められる公園で、七色に輝く「光の天守閣」。400年前、福岡城の築造に携わった人たちは、この情景をどう受け止めるのだろう。
戦乱の世を経て“美の国”の時代が到来したと思うのか、それとも「趣なし」と感じるのか――。束の間、空想の時間旅行をした気分になった。