地元百貨店で愛されたハイカラな味 大牟田の「洋風かつ丼」
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記事 INDEX
- 甘酸っぱいあんかけソース
- 特別な場所、大切な思い出
- 「変わらない味」守り続ける
福岡県大牟田市でカツ丼といえば、トンカツに甘酸っぱいあんかけソースをかけた「洋風かつ丼」――。街の中心部で営業していた百貨店にあった食堂の人気メニューでした。炭鉱の閉山などで百貨店が姿を消したあと、長く愛された味を地元有志が再現。当時のレシピによる”思い出の味”を市内の飲食店で楽しむことができます。
甘酸っぱいあんかけソース
「普通はカツを卵でとじて煮ますよね。でも大牟田ではこれがカツ丼なんです」。JR大牟田駅近くで中華料理店「彩花」を営む松尾潤子さん(70)が教えてくれました。
松尾さんが運んできた洋風かつ丼には、トンカツの上にトロッとしたあんかけソースがかけられ、キュウリやトマト、スパゲティが添えられています。スープと杏仁豆腐(あんにんどうふ)が付いて、税込み990円です。
フォークで口に運ぶと、揚げたてのカツとご飯に絡むソースの甘酸っぱさが広がります。ソースは醤油(しょうゆ)をメインに、ウスターソースや鶏ガラスープ、魚の和風だしなどを用い、後味はさっぱりしています。
洋風かつ丼は、同市の百貨店「松屋」の6階にあった食堂の看板メニューでした。松屋は2004年に閉店しましたが、洋風かつ丼を懐かしむ多くの声を受け、大牟田商工会議所が研究会を発足させ、14年にハイカラな”あの味”が復活しました。
このとき、レシピ再現に協力したのが、松尾さんの夫で、かつて松屋の食堂に勤めていた義博さんです。彩花は、食堂の味を忠実に再現する唯一の店で、23年暮れに亡くなった義博さんが残した味を、松尾さんと店の従業員が守っています。
特別な場所、大切な思い出
大牟田商工会議所などによると、1937年に開業した松屋は当時まだ珍しいエレベーターを備え、屋上には観覧車がありました。夕暮れ時になると、子どもたちに帰宅を促す音楽を流していたといいます。最上階に位置する食堂は、デートや家族の記念日などに利用される”特別な場所”だったそうです。
その食堂で1950年頃から提供されていたという洋風かつ丼。なぜ、あんかけソースなのか? 詳しい経緯はわかりません。三井三池炭鉱で栄えた大牟田。炭鉱労働者は、ぱっぱっと行動する人が多く、ソースをさっとかけて待たせず提供できるメニューが求められたのでは――。松尾さんはそう推測しています。
当時のレシピが再現され、市内の飲食店で洋風かつ丼を食べられるようになると、人気マンガ「クッキングパパ」でも紹介されました。その名は全国に広まり、噂の味を求めて県内外から多くの客が訪れました。
「変わらない味」守り続ける
「味の決め手はお醤油なんです。デパートで使われていた醤油は廃番になっていて、主人はその味を目指して試行錯誤していました」と松尾さんは振り返ります。
大牟田出身の義博さんは、高校を出て料理の道に進みました。東京で約10年間の修業を積み、地元に戻った30歳代の頃、松屋の食堂の中華部門で働きました。その後、別の店で料理長を務め、40歳代の頃に独立します。
職人肌で研究熱心だったという義博さん。レシピ再現への協力を求められると、何種類もの醤油を用意して分量を変え、何度も調整を重ねました。松尾さんや松屋の元従業員らに試食してもらい、ようやくたどり着いた”あの味”のレシピは、洋風かつ丼の普及に賛同する店に公開され、義博さんは作り方も指導しました。
洋風かつ丼には定義があります。▽白いご飯にカツを直接のせる。キャベツなどで挟まない▽とろみのあるソースをかける。市販のソースはアレンジせずに使わない▽フォークで食べる――の三つです。今ではレシピを基に、ソースをデミグラスにしたり、鶏肉を使ったり、各店が工夫を加えた多彩な味を楽しめるようになっています。
復活当初は、市内で30店近くが提供していた洋風かつ丼。コロナ禍の影響などを受けて商売をやめる店も増え、今では3分の1ほどに減ったといいます。
そんな中、彩花には「やめないで」と通ってくれる常連も多いそうで、「この味がみなさんに愛されているんだと実感します」と松尾さん。「『変わらない味ですね』という声にホッとします。主人が残してくれた味を大切に守り続けたいです」