「北九州×サッカー」この街とギラヴァンツ チームがつなぐ絆と思い

記事 INDEX

  • いいときも悪いときも一緒に
  • 子どもたちに伝えたい「礼節」
  • 故郷と向き合い第二の人生

 サッカーJ2・ギラヴァンツ北九州のホーム「ミクニワールドスタジアム北九州」(北九州市小倉北区、通称・ミクスタ)には、試合のたびに多くの人たちが応援に駆けつける。チームを軸に様々なドラマが生まれている。


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いいときも悪いときも一緒に

 「ホッとして、涙が出ました」

 ギラヴァンツがホーム戦で今季初勝利を果たした5月23日、クラブカラーの黄色のTシャツを着た鬼塚真琴さん(34)は晴れやかな笑顔だった。サポーター団体「YELLOW WALLs(イエローウォールズ)」の中心メンバー。新型コロナウイルス対策で声を出せないため両手を思い切り打ち鳴らし、手のひらが真っ赤だ。


出会いの場となったミクスタの近くで笑顔の鬼塚さん夫婦

 東京で生まれ育ち、好きな選手のいた柏レイソルなど千葉県のJリーグチームを家族で応援していた。2013年3月の試合で、たまたま対戦相手だったのがギラヴァンツ。「大差で負けていたが、あきらめずにボールに向かっていく選手たちの姿に強くひかれた」と振り返る。

 翌4月には北九州空港に降り立ち、当時ホームだった本城陸上競技場(北九州市八幡西区)に向かった。何度も通っているうちに知り合いが増え、北九州という土地にも愛着がわいた。


熱いサポーターに支えられる選手たち


 2017年3月に新たなホームとしてミクスタが完成。シーズン開幕戦の後、スタジアムのゲートで出会ったのが、後に夫となる真千生(まちお)さん(34)だ。真千生さんは福岡県宮若市出身で、ギラヴァンツがJリーグに加盟した2010年からのファン。2人は同じ本城陸上競技場に通いながら、真千生さんは主にゴール裏、真琴さんはメインスタンドで応援していたため出会うことがなく、ニアミスが続いていたのだ。

 ミクスタはJR小倉駅に近く、試合後にファンが飲食店で交流する機会がそれまでより増え、同い年の2人はすぐに意気投合した。その年、チームはJ3に降格し、沈滞ムードが漂っていたが、「苦しい時期だからこそ、応援を頑張ろう」と、真千生さんを代表に「YELLOW WALLs」を結成。一緒に応援する仲間の輪も広がった。



 2人は2018年10月に結婚。北九州市八幡西区に居を構えた。その年のJ3リーグ最下位の悔しさも、19年のJ2昇格決定の喜びもともに分かち合ってきた。昨年はコロナ禍で無観客試合の時期もあったが、家でネット観戦。J2リーグ5位の好成績を見届けた。「家でも話しているのはギラヴァンツのことばかり」と笑顔で口をそろえる。

 これからも応援していく。いいときも、悪いときも。


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子どもたちに伝えたい「礼節」

 「足元で止めて。そう!ナイス!」

 ギラヴァンツの元選手・川島大地さん(34)は5月下旬、北九州市内のフットサル場で、傘下のジュニアユースチーム(13~15歳)の子どもたちを指導していた。


「どんな選手に育つか楽しみ」。温かい表情で中学生らの練習を見守る川島さん

 Jリーグの各運営会社は、傘下のチームで若手選手を育成する役割も担う。川島さんは、鹿島アントラーズを経て2014年にギラヴァンツに移籍。19年に引退後、コーチに転身し、昨年はスクールチーム(12歳以下)で教えた。

 ジュニアユースチームは、「U-13」(中学1年)、「U-14」(同2年)、「U-15」(同3年)と担当コーチが学年別についており、主に担当するのは中学2年の18人だ。プロを目指す子どもたちに伝えたいことは、「礼節」の大切さだという。

 「一つのパスも、自己中心的にならないよう次のことを考えて出す必要がある。周りの人に気を配り、あいさつをし、道具を丁寧に扱う。そんな日常のすべてがサッカーにつながる」



 それを背中で教えてくれたのが、アントラーズとギラヴァンツでともにプレーした本山雅志さん(41)だ。北九州市若松区出身で、日本代表でも活躍した本山さんについて、「人柄がサッカーに出ていて、自然と尊敬されていた」と懐かしむ。

 プロサッカーチームは選手の入れ替わりが多く、ギラヴァンツも昨季後に多くの選手が他チームに移籍した。「地元の子どもたちが入団を目指し、チームの成長を支えてくれるようになるといい」と願う。


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故郷と向き合い第二の人生

 ミクスタで行われる試合の前後、ゲート前にいつも立ち、観客にあいさつしている人物がいる。ギラヴァンツの社長・玉井行人さん(63)だ。玉井さんにとって2018年1月の社長就任は「第二の人生」のスタートだった。

 北九州市若松区で生まれ育ち、早稲田大学を卒業後、西日本新聞社の記者になった。福岡市の本社で営業戦略担当だった2017年11月中旬、地元・北九州の経済界からギラヴァンツの経営を頼まれた。サッカーのシーズンは年明けすぐに始まる。「やるしかない」と2週間後に辞表を提出した。


試合終了後、グータッチで観客を送り出す玉井さん

 引き受けた理由はもう一つある。若い頃は避けてきた「北九州」とのつながりに向き合っていきたいという思いが、年を重ねるにつれ、強くなっていたからだ。

 かつて石炭の積み出し港として栄えた若松を拠点に小説を書き続けた作家・火野葦平は伯父にあたる。その代表作「花と龍」で描かれた港湾労働者の親分・玉井金五郎と妻のマンは、火野の両親であり、自身の祖父母でもある。作品は高倉健らの主演で映画化され、「任侠(にんきょう)」のイメージで有名になった。そうした関わりが、かつては息苦しかった。

 しかし、日本の近代化を支えた北九州の地で、貧しい中でも助け合って懸命に生きた祖父母の精神が、心に根付いていた。「困っている人がいたら助けなさい」。祖母が父親に伝え、そして父親から自分に伝えられた言葉だ。



 ギラヴァンツは、戦後間もない1947年(昭和22年)に創部された三菱化成黒崎サッカー部が前身。ものづくりの街で生まれたクラブの改革指針には、「全力を尽くしてひたむきに働き、強い心で熱く、激しく闘う」といった一節を盛り込んだ。

 「炭鉱の閉山、鉄冷え、公害など、様々な苦難を乗り越えてきた地域の歴史を土台にして、『苦難を乗り越える力』をサッカーで体現するチームを作りたい」

 月内に予定されているチームの研修では、北九州の地に根ざした自らの「哲学」について、選手たちに改めて話すつもりだ。


工場が並ぶ臨海部に立つミクスタ

(写真:大野博昭)


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