福津市・西郷川で戦争遺構を確認 爆弾や砲弾を運んだ引き込み線の鉄道橋
福岡県福津市を流れる西郷川の底で、太平洋戦争中に上西郷村(現・福津市上西郷)に置かれた陸軍弾薬施設の引き込み線の鉄道橋とみられる遺構が確認された。動員学徒らが手掛けた爆弾や砲弾の輸送などに使われたが、戦後の水害で流失していた。
陸軍施設の引き込み線
宗像高校六十年誌や福間町史などによると、1943年に陸軍から村に要請があり、田畑や山林を買収して大阪陸軍航空補給廠(しょう)福間出張所が開かれた。約100万平方メートルの敷地に弾薬庫や隊舎などが急造され、翌44年に福間駅との間に全長約2.5キロの引き込み線が敷かれた。
線路の敷設や出張所での作業には、宗像高校の前身にあたる旧制宗像中学校や宗像高等女学校の生徒、地元住民らが動員された。弾薬の運搬や磨き、保管のほか、弾体への火薬詰めも行われたと伝えられる。完成した爆弾などは引き込み線を使って夜間に貨物列車で運び出され、沖縄方面などの戦闘で使われたという。
宗像中在学中に、引き込み線の敷設工事や、海岸沿いの松林で火薬の詰め替えをした那珂川市の徳永賢一郎さん(91)は「火薬負けで皮膚がボロボロになり病院に通った。鉄道を引いた頃は空襲の心配もなくトロッコで土を運んだが、海上に米軍の戦闘機が見えるようになり、日本の飛行機がB29に体当たりするのも目撃した」と証言する。
浚渫工事によって確認
今回、遺構が確認されたのは福津市日蒔野の宗像水光会総合病院そば。県が1~5月に行った浚渫(しゅんせつ)工事で約190メートルにわたって堆積(たいせき)した土砂を取り除いたところ、引き込み線の鉄道橋の橋桁とみられる全長約11メートル、幅約1.8メートルの遺構が現れた。
記録や地元住民の証言によると、引き込み線は終戦翌年に撤去された。橋は残されたが、1959年の水害で流され、川を塞いだため、爆破して流れを確保したという。遺構のそばには、橋脚や橋桁の一部のような構造物も残っている。
福津市の鉄道の歴史に詳しい市職員の藤井雄一さん(55)(福岡市東区)が、米軍が撮影した航空写真などを基に橋が架かっていた場所から約16メートル下流で遺構を確認した。出張所があった場所には引き込み線のホームや一部の建物も現存している。
国内外160か所以上の戦争遺跡に足を運び、県教委が2017~19年に実施した戦跡の全県調査にも関わった宗像市教委世界遺産課の池田拓さんも現地で確認。新興住宅地に近く、池田さんは「軍の施設があったことを知る人は地元でも少ない。戦争に結び付かないような場所で遺構が見つかったことは、歴史を考えるきっかけになる」と話す。