福岡県・宗像沖で口火を切った日本海海戦 2人の男が沖ノ島で目にした「歴史」

三笠公園の岸壁に展示されている戦艦「三笠」と東郷平八郎像(神奈川県横須賀市で、2018年撮影)

記事 INDEX

  • 司馬遼太郎『坂の上の雲』に
  • 艦砲が「ズローン、ズローン」
  • 近代国家を目指した歴史の舞台

 福岡県福津市の東郷神社で5月27日、春の例祭が行われました。日露戦争で日本海軍の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦から、この日で116年。祭神は連合艦隊司令長官の東郷平八郎で、海戦に合わせた例祭は87回を数えます。なぜこの地に東郷をまつる神社があり、例祭が続けられているのでしょうか。

司馬遼太郎『坂の上の雲』に

 そのヒントは、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』にあります。作品には、海戦の様子を目の当たりにした宗像繁丸と佐藤市五郎が登場します。2人がいたのは、2017年に世界遺産に登録された「神宿る島」沖ノ島(宗像市)。日本海海戦では5月27~28日の2日間で10回の合戦があり、第一の合戦が展開されたのが沖ノ島のそばの海域だったのです。



 繁丸は本土の官幣大社宗像神社(現在の宗像大社)から沖ノ島の沖津宮に派遣されていた神職、市五郎は雑役を担う少年でした。海軍の望楼(見張り所)からバルチック艦隊の接近を知らされると、繁丸は海に飛び込んで心身を清め、神殿に駆け上がって祝詞を上げます。市五郎は矢継ぎ早に響く砲声に身を震わせ、涙をこぼします。


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艦砲が「ズローン、ズローン」

 市五郎をよく知る人が、彼が生まれ育った宗像市の大島にいます。板矢英之さん。幼い頃に何度も、市五郎から海戦の目撃談を聞かされました。艦砲のとどろきを、市五郎は「ズローン、ズローン」と独特の言葉で表現したそうです。


沖ノ島を望む大島の「日本海海戦・戦死者慰霊碑」の傍らで市五郎を懐かしむ板矢さん

 市五郎は、海戦の様を記録した手記を残しています。木によじ登って「観戦」し、望楼と艦船がやり取りする信号旗の掲揚を手伝ったこと、「ヅドンヅドン」と響く万雷の砲声、海面から突き上がる無数の水柱、「敵艦沈没」と叫ぶ望楼長――。


晩年の佐藤市五郎(板矢さん提供)


 2016年に市五郎の三男・千里さん(故人)から手記を託された板矢さんは、臨場感あふれる記述に感銘を受けたといいます。

 『坂の上の雲』には「佐藤市五郎氏は、この稿を書いている現在、病気療養中だが」という記述が出てきます。板矢さんは千里さんから「(市五郎が)入院していた時に司馬さんが訪ねてきた」と聞かされたそうです。

近代国家を目指した歴史の舞台

 沖ノ島発掘調査を1969年に視察された三笠宮さまにも、市五郎は沖を指しながら海戦の目撃談を語っています。

 その市五郎が木によじ登って激しい砲戦に見入っていた頃、現在の福津市の大峰山山頂から、はるか沖ノ島の方角へ目をこらす青年がいました。当時18歳の安部正弘で、のちに「黒い煙と音だけで何も見えなかった」と語っています。


軍艦を模した大峰山の「日本海海戦紀念碑」

碑文は東郷の筆による。東郷は「戦勝」という言葉を使うことを許さなかったと伝えられる


 日本海海戦の翌年に上京した安部は、海戦を指揮した東郷平八郎と親交を結びました。獣医師として財を成し、東郷が死去した1934年、大峰山山頂に「日本海海戦紀念碑」を建立。翌35年には、近くに東郷神社を創建しました。


 現在の宮司は、孫の川野萬里子さん。祖父である安部の思いを継ぎ、紀念碑前で春の例祭を続けています。今年は、朝まで降り続いた雨のため会場を神社本殿に変更し、新型コロナウイルスの影響で参列者は例年の4分の1ほどの約40人でした。


今年は神社本殿で行われた春の例祭

 近代国家を目指す日本と大国ロシアが戦った日露戦争。参列者は、世界最強と言われた艦隊を破り、勝敗を決定づけたとされる海戦を振り返りながら、約5000人にものぼる両国の戦没者を慰霊しました。


「三笠」の羅針儀(宗像大社提供)


 日本海海戦で東郷が乗った旗艦「三笠」の羅針儀は海戦勝利の感謝として宗像大社に奉納され、大社神宝館に展示されています。三笠は神奈川県横須賀市で記念艦として公開されています。



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