福岡市地下鉄の駅シンボルマークに込められたデザイナー親子の「福岡愛」

親子の福岡愛

 空港線と箱崎線のマークをデザインした西島伊三雄さんは、七隈線が開業する前の2001年9月にすい臓がんで亡くなりました。伊三雄さんは病床で、七隈線各駅のマークを考え、図案をチラシの裏に描いていました。その案を元に、父と同じ道に進んだ雅幸さんが完成させました。

 3路線のデザインが完成するまでの経緯を雅幸さんに取材しました。


西島伊三雄さん(雅幸さん提供)

西島伊三雄さん(1923~2001年)
福岡市出身。広告会社で観光ポスターの制作などを行った後、フリーに転身。世界観光ポスターコンクールで最優秀賞を受賞。即席ラーメン「うまかっちゃん」のパッケージや博多座のマークのデザインなどを手がけた。福岡市名誉市民。


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 「父は『しゃれたマークは好かん。子どもやお年寄りが見ても分かりやすいものがいい』と言って、それがデザインのこだわりになっています」。そう語るのは雅幸さんです。「父は本当に福岡を愛していました。観光ポスターを描いていたのも、観光客をもっと呼び込みたいという思いからでした。どんたくと博多祇園山笠には毎年参加していましたし、博多文化の保存にも熱心だった」と振り返ります。
 伊三雄さんが地下鉄の仕事を引き受けたのは、自らを育ててもらった恩返しでもあったといいます。


父の思い出を語る雅幸さん

 病と闘っていた伊三雄さんは「俺は生きてるか分からんから、作りきらんかもしれん。その時は任せた」と、雅幸さんに1枚のチラシを渡したそうです。その裏には、当時工事中だった七隈線各駅のシンボルマーク素案が鉛筆で描かれていました。
 伊三雄さんは七隈線開業(2005年)の4年前に他界します。


チラシの裏に描かれた素案のコピー

 雅幸さんはその後、福岡市交通局からシンボルマーク制作の正式オファーを受けました。伊三雄さんが託したデザイン案を完成形に仕上げる仕事です。「依頼されたときはドキッとしました。父の意思を受け継ぎたいという気持ちでした」と雅幸さんは当時を振り返ります。
 駅ができる周辺を何度も訪れたり、郷土史に詳しい人に取材したりして、その土地のことを学んだといいます。
 マークの中には、雅幸さん自身の思いを込めて、伊三雄さんの素案とは異なるデザインにしたものもあります。「次郎丸駅のマークはホタルにしました。近くを流れる室見川に、昔のようにホタルが戻ってほしいという願いからです」

 父親と同じように福岡を愛し、博多町人文化連盟の理事長も務める雅幸さん。「駅のシンボルマークを通して土地の歴史や特徴を知ってもらい、福岡への愛着を育んでほしい」と願っています。


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