遠い日の思い出が見つかるかも 北九州・若松にある昭和の駄菓子屋「菊地ガンモ店」
昭和、平成、令和と時代が進むにつれ、街角で見かけることがめっきり減った駄菓子屋――。かつて石炭の積出港として栄えた北九州市若松区の一角、昭和の面影を残す小さな駄菓子屋に、中高年が少年時代の思い出を見つけにやって来るのだという。
玩具と模型で店名は「ガンモ」
店の名前は「菊地ガンモ店」。玩具と模型を合わせた造語で、1960年の開店以来、菊地智子さん(89)が地元の子どもたちを相手に、店を切り盛りしてきた。
中に入ってみると、駄菓子のほか、玩具や文具、ゲーム機などが所狭しと並んでいた。まるで昭和のまま時間が止まっているかのようなレトロな空間だ。幼い頃の懐かしい"空気"を味わいたいという思いに駆られ、深く息を吸い込んだ。
40年以上前――。駄菓子屋で10円の菓子を100円分買って、弟と一緒に神社の境内で少しずつ食べていたこと。カップの底にわずかに残る甘みを惜しみ、ほじくり出すように口に運んだこと。忘れかけていた遠い記憶が鮮やかによみがえる。
「また来るけんね!」を励みに
店は朝7時に開く。菊地さんが病院に通うとき以外は、盆や正月を含めて無休で営んでいる。「毎日規則正しく営業することが健康のためにもなるからね」
菊地さんにはささやかな楽しみがあるという。地元で育った子どもが、帰省の際などに自分の子どもたちを連れて訪ねてくれることだ。「元気にしてた?」「えっ、おばちゃん、よう名前を覚えてくれてたね。感激やね」――。久しぶりに現れた顔がびっくり驚く様子を見るのも幸せな時間だ。
「こがんとは店になかろうが」――。母の日に顔を見せ、花束とようかんを照れながら差し出してくれた"OB"もいるという。
もうすぐ90歳。膝の痛みも増してきた。「また来るけんね! 元気にしとってよ」。かつて心の居場所をここに求めた子どもたちの温かい言葉が、もう少し店を続けようという力になっている。