窓に広がる関門海峡の大パノラマ 門司・風師山の絶景カフェ
記事 INDEX
- 港町を見守り半世紀
- 変わらない風景と味
- ぼんやり過ごす至福
入り口の扉を開けて店に一歩入ると、目の前に広がる関門海峡の大パノラマに息をのんだ。北九州市門司区にある喫茶店「珈琲(コーヒー)テラスすいげつ」は、門司港を見下ろす山の中腹から関門エリアを一望できる絶景カフェとして知られている。
港町を見守り半世紀
すいげつは1972年に創業した老舗喫茶店。大正・昭和期に料亭や旅館が軒を連ねた清滝地区から風師山頂上へ向かう途中にある。
店を切り盛りするのは、3代目になる河本真由美さん(50)。急坂が続くため、幼少期は「こんな不便なところから離れたい」という思いがあり、海峡の眺望も「見慣れた当たり前の風景」でしかなかったという。
しかし40歳代になって故郷に戻ってみると、海峡を見渡せる場所の多くは生い茂る樹木で視界が遮られ、眺望を守り抜いている店に誇りを感じるようになったという。
関門橋ができて今年で50年。初代の大叔母が店を開いたのは、開通の前年だった。「きっと大叔母は、九州と本州の両岸から橋が少しずつ延び、つながっていく様子をここから見ていたのでしょうね」。窓の外に視線を送りながらしみじみと語った。
変わらない風景と味
半世紀の間に様変わりした港町。河本さんが幼い頃、現在の門司港レトロ地区には船だまりが広がり、海峡を渡るポンポン船の汽笛が日常に溶け込んでいた。高いビルといえば、今はない百貨店「山城屋」など数えるほどだったが、マンションが次々と建設され、いつの間にか高層の建物が立ち並んでいた。
店内に流れる時間も変わった。かつては地元住民の隠れ家的スポットだった喫茶店は、SNSなどで存在が広く知られ、週末になると朝から夕方まで予約でいっぱいになる人気店になった。
先日は岩国基地(山口県岩国市)の米兵が姿を見せた。AI(人工知能)で「景色がすばらしい喫茶店」を探したところ、この店を紹介され、やって来たそうだ。
かつて店に通っていた地元出身者が子どもや孫を連れて訪れることも多いという。「変わらない風景でほっとする。味も以前と同じでよかった」。河本さんが、店の長い歩みを感じるひとときでもあるそうだ。
取材で訪れた平日の午後、福岡県中間市から友人とやって来た会社員女性(52)も、古くから店を知る一人だった。最初に来店したのは、社会人になりたての20歳の頃。ずっと通っていた母親に「ハンバーグがおいしいし、何より景色がすばらしいから」と勧められたのがきっかけだという。
昨年は、父母と一緒にランチを楽しんだそうだ。「景色はもちろん、昔と変わらない味を守り続けていることに、両親は感激した様子でした。小さな親孝行ができたかな」と笑顔を見せた。
ぼんやり過ごす至福
店の一番人気は「手作りハンバーグセット」(ドリンク付きで1350円)で、甘みのある濃厚なデミグラスソースが特徴だ。秘伝の味として半世紀にわたって受け継いできたソースは、すべての料理のベースになっている。
食後に、風師山の湧水で作ったコーヒーをいただく。山からの水を砂や炭で濾過(ろか)すると、「カドが取れて雑味がなくなる」という。幻のコーヒーともいわれる「トアルコトラジャ」(インドネシア産)によく合い、酸味をうまく表現してくれるそうだ。
初めて迎える客は「きっとこの風景を楽しみに来たのだから」と静かに見守り、常連さんとは日々の何げない話に花を咲かせる。
「そういえば!」とうれしそうに教えてくれたのは、「彼女ができたら、必ずここに連れて来たい」と話していた30歳代の常連客の話。念願がかない、2人連れで現れた男性は、満面の笑みで食事を楽しんでいたという。後日、「おかげさまで、とても喜んでくれました」とお礼のメッセージが届いたそうだ。
海峡を進む巨大な貨物船、波しぶきを上げる小さな船をしばらく眺める。山口県下関市の水族館「海響館」の先には、蓋井島(ふたおいじま)がかすんで見えた。
河本さんによると、お薦めの季節は真冬だという。「空気が澄んで、遠くの風景がすぐそこにあるかのように、くっきり見えますよ」とのことだ。
周囲の建物や環境が変わっても、草木や花々に囲まれた山腹の店は四季を同じリズムでたどっていく。
変わっていくものと、変わらないもの。コーヒーを飲みながら、普段は考えないことに思いを巡らせる。一幅の絵のような景観を前に、ただぼんやりと取りとめもなく考えるひとときも悪くないと思った。