大正時代の米蔵を再生 夢を夫婦でかなえた赤レンガのカフェ
記事 INDEX
- お菓子を追いかけて
- ほこりまみれの日々
- 「充実の時間」に喜び
大正時代に米蔵として造られた赤レンガの建物がカフェに生まれ変わり、9月にオープンした。店主のこだわりが詰まったお菓子や歴史を重ねたレンガ造りの建物が、おしゃれでインスタ映えすると注目を集めている。
お菓子を追いかけて
カフェ「Namtaan(ナムターン)」が営業するのは、北九州市小倉南区蒲生(がもう)、のどかな田園地帯にある住宅街の一角。車1台がやっと通れる細い道を進むと、2階建ての赤レンガの建物が現れる。
カフェを切り盛りするのは、店主の金石多計子さん(50)。築100年を超える建物は実家の敷地にあり、金石さんが生まれる前は米蔵として、昭和の時代には北九州市立大の学生の下宿先として使われてきた。
平成に入ると、大学そばにワンルームマンションなどが増えたこともあり、学生用の8部屋があった建物は物置に。使わなくなったタンスや着物、本など「いらないものが山盛り」になっていたそうだ。
米蔵、下宿、そして物置として歩んできたこの建物。金石さんは「おしゃれな赤レンガの造りを生かして、カフェを開けたらいいな」と思い続けていたという。
そんな夢を描いた背景には、幼少期からの「甘さどっぷり」の環境があるようだ。
幼い頃の一番の楽しみは、母親が焼いてくれるお菓子やケーキだった。物心がつく頃には、姉たちと一緒に自分でも作るようになっていた。
休みの日には、やはり甘い物に目がない祖母が、市街地の菓子店や喫茶店に連れ出してくれた。手土産を携えて家を訪ねて来る祖母の友人とも、縁側や座敷でお茶とお菓子を楽しんだ。「またおいしいものが食べられると、ワクワクしていました」。そんな”甘い生活”を振り返り、「お菓子のことしか考えていなかったかも」と笑う。
お菓子との縁が途絶えることはなく、高校卒業後は大阪の製菓専門学校へ。地元に戻ってからは洋菓子店で腕を磨き、紅茶専門店のほかインテリア店でも働いた。
念願のカフェを開くために、少しずつ知識やノウハウを蓄える日々だった。
周囲にも「赤レンガの蔵でカフェを開く夢をいつか実現するね」と話していた金石さん。しかし実際のところは、「私みたいな、ちゃらんぽらんな性格では無理だろうな」と半ば諦めていたという。
ほこりまみれの日々
そんな金石さんだったが、意を決して2021年、大工でもある夫の元樹さん(51)の理解を得て、蔵をカフェに改修する作業に2人で取りかかった。
すべてが手探りの作業。大工とはいっても、レンガの建物は勝手がまるで違う。内部の木材が朽ちていたり、雨漏りしたり、想定外の難題に次々と直面した。「いつも、ほこりまみれでした」。はじめは「できるよ、俺ならね」と軽口をたたいていた元樹さんの口から「もうできん、やめだ」と弱気な言葉が漏れるようになっていた。
「このままだと、みんなが不幸になってしまう。もう、やめた方がいいのかな」と考え込むことも。応援してくれていた両親からも「店を開かなくても、お菓子作りは楽しめる」と自重を促された。
それでも諦めずに夢を追い続け、計画から1年遅れ、2年の歳月を経てオープンにこぎ着けた。
店の名前、ナムターンはタイ語で「砂糖」を意味する。20~30代の頃、タイを一人で旅して、欧米風にデザインされたおしゃれなカフェを巡るのが大好きだった。
内装も妥協しなかった。旅先で感化された東南アジアのインテリアのデザイン、さらに仕事の経験を生かして、自分の”好き”を凝縮した空間をつくりあげた。
店内の音楽にも”好き”を込めた。ブラジルの音楽やクラシックに続き、静かな調べのピアノ曲が流れる。「そう、この曲です」。ヘンデルの『調子の良い鍛冶屋』。最も思い入れのある曲で、幼少期から何度もレコードで聴いていたという。カフェの夢がいつか実現したら、必ず店内で流したいと心に決めていたそうだ。
「充実の時間」に喜び
店で提供するお菓子には「特別なものは使いたくない。できれば身近なもので家庭の味を」という思いがある。取材で訪ねたのは、仕込み作業の日。カフェにはプレーンスコーンのこうばしい香りが漂っていた。
素材を生かした素朴な味を求める金石さん。カフェの前にある畑で育った旬のイチジクもケーキなどに織り交ぜる。地面からわずかに葉を出しているニンジンは11月には収穫できるそうで、キャロットケーキを作る予定だ。
店を開けるのは金曜と土曜だけ。火曜と木曜はスタッフと一緒に仕込み作業に追われ、深夜におよぶ日もある。
あれも、これも作ってみたいという思いがあふれ、「絞らないといけない」とは分かっていても、メニューは試作も含めると30~40種になる。
仕込みや接客に忙しい日々だが、材料費や手間を考えると「カフェだけではやっていけない」そうだ。準備や営業の合間を縫うように、今も食品関係のアルバイトを続けているという。
オープンからひと月あまり。「こんなところまでお客さんが来るかねぇ」と両親に言われ、「確かにここじゃぁ…、道も狭いし」と覚悟していた金石さん。SNSや口コミで話題が広がり、福岡市や山口県下関市からも客を迎えるようになった。
「こんなに分かりにくい場所まで、たくさんの人がケーキを食べに来てくれるなんて」と驚く。一方で、「今はなんとか対応できているけど、これから先もお客さんや周囲に迷惑をかけずにやっていかないと…」と、新たな心配も出てきたという。
中学校の卒業文集には「外国人の客も訪れるようなケーキ屋を作りたい」と夢をつづっていたそうだ。
極度の人見知りだといい、はじめは自身が撮影されることをためらっていた金石さん。話しているうち、照れながらも応じてくれた。「なんとか夢を、かたちあるものとして表現できている今が、人生で一番充実している時なのかもしれません」。ファインダー越しのやさしい笑顔が輝いて見えた。