父が愛した仕事場をカフェに 福岡市・六本松の「アトリエてらた」

寺田健一郎さんの抽象画が壁一面に広がる店内

記事 INDEX

  • 刺激から”何か”が花開く
  • 再び「にぎわい」の場所に
  • 自慢の「ヤッホーカレー」

 40年ほど前までアトリエとして使われていた部屋を、そのままカフェにした店がある。昭和の香りを今にとどめる「アトリエてらた」。その店は、福岡市中央区六本松の福岡県護国神社から坂道を少し上った閑静な住宅街に立っている。

刺激から”何か”が花開く

 店に足を踏み入れると、すぐ前方に巨大な”瞳”が現れた。赤、緑、青、黄と大胆な色彩が躍る独創的な抽象画。店内にはアートな空間が広がっていた。


かつてのアトリエをカフェに改装した瀬下黄太さん(右)と美和さん


 アトリエてらたは、戦後の福岡の美術界を支えてきた画家の一人、寺田健一郎さん(1931~85年)のアトリエを復活させたようなカフェ。息子の瀬下黄太さん(58)と美和さん(52)の夫婦が切り盛りしている。


古い洋館のたたずまい


 アトリエができた半世紀以上前は「竹に覆われて森のようだった」という周辺に、今は新しいマンションが立ち並ぶ。三差路の角に位置し、壁に蔦(つた)が絡まる古い民家の2階が店舗。建物の前にある小さな看板がカフェの存在を控えめに告げている。


往時の雰囲気を残す店内


 大きな瞳のように見えた抽象画は、前衛美術集団「九州派」などで活躍した健一郎さんの作品「鳥」を壁一面に模写したもの。住居を兼ねた健一郎さんのアトリエには、芸術家や作家、俳優、新聞記者など様々な分野の人たちが集まり、サロンのような場になっていたという。


絵画作品のガラス面に映るカフェの情景


 その日の創作活動を終えた健一郎さんは、夕刻になると食材の買い出しに出かけていた。アトリエに顔を出す”仲間”に料理を振る舞うことが趣味であり、日課だった。「俳句の会」など何かと理由をつけては集まって、酒を飲み、議論し、歌い、時には取っ組み合いの喧嘩(けんか)をする。そんな日常が繰り広げられていたそうだ。


 集まる面々が持ち込んだ雑多なカルチャーとエネルギーが渦巻く独特の空間。そこで得たアイデアを膨らませて、各自がそれぞれの活動の中で花を咲かせ、時代のスタンダードをつくっていく――。そんな気概に満ちていた。


賞状を手に笑顔の山本作兵衛さんら(前列中央が健一郎さん)


 アトリエの隅には、炭坑記録画を描いた山本作兵衛さんが、生前に受賞した文化賞を祝う写真も飾られており、往時のアトリエの活気を今に伝えている。


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再び「にぎわい」の場所に

 1985年に健一郎さんが亡くなる直前まで使われていたアトリエだが、その後は作品の保管場所として放置されていた。


ここから新たな交流が生まれたらきっと面白いに違いない


 この部屋がかつてサロンとしてにぎわい、笑い声が響いていた時代があったことを、美和さんが伝え聞いたのは、健一郎さんの死後しばらくたってからだった。


昼は喫茶店、夜はバーを営業する


 この場が持つ居心地の良さは、変わることなく残っている――。「いろんなタイプの人たちが集う場として、また復活させられないだろうか」。美和さんの思いは黄太さんにも伝わり、30年近くの空白期間を経て”サロン”を再興する計画が動き始めた。


店には健一郎さんが愛用した画材や書籍が並ぶ


 アトリエの雰囲気を生かすために、一角には健一郎さんが愛用していた筆や絵の具などをそのまま置いた。夫婦で手作りしたカウンターを据え付けるなど準備を進め、決断から約1年後の2011年末、念願のカフェがオープンした。


切り刻んだジーンズを縫い合わせて作ったソファ


 健一郎さんの作品だけでなく、店のいたるところにアートがある。例えば、パッチワークで作ったようなソファ。一時期、洋服屋を営んでいたという黄太さんがリメイク用に保管していたジーンズを切り刻み、夫婦で縫い合わせてソファに貼り付けた。


木材をパズルのように組み合わせたテーブル


 カウンターの表情も独特だ。1枚ずつ色を塗った木の板をパズルのように組み合わせた。凹凸のあるモザイク模様のテーブルに置かれたコーヒーカップが、さながらアート作品のように”絵になる一角”を作り上げていた。気取りのない手作りの痕跡が、この空間全体を味のあるものにしている。


自慢の「ヤッホーカレー」

 店の自慢はアートだけではない。美和さんが作る「ヤッホーカレー」は開店以来の人気商品だ。鶏のうまみとスパイスが調和する辛口の絶品。初めて来店する人の9割が注文するという。「『人生最後の晩ご飯は、このカレーと決めているんだ』と言ってくれた常連さんもいるんですよ」と美和さんがうれしそうに教えてくれた。


鶏ガラを一晩じっくり煮込んだ店自慢のヤッホーカレー


 知らない誰かと小さな縁を広げ、福岡の文化を紡いでいた小さなアトリエ。時代は移り、集まる顔ぶれは変わっても、音楽やアート、サブカルチャーなど、様々なテーマで熱のある会話が生まれ、深みのある時間が流れていく。


 「何か愉快なことがはじまりそうな雰囲気づくりを」という夫婦の思いは、アトリエからカフェに生まれ変わったこの空間でかなえられたようだ。


何か愉快なことがはじまりそうな雰囲気づくりを


 今の時代では珍しく、店内では喫煙ができる。健一郎さんが愛したたばこ。「うちのように引っ込んだ場所にあるカフェくらいは、いいんじゃないかな」。熟慮した末に決めたそうだ。ソファに腰を沈め、紫煙たなびく天井をながめていると、この場所にかつて居合わせた人だけが知る”時代の空気”がまだ漂っているような気がした。


熟慮した末、喫煙可能に



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