不思議博物館分室へようこそ ありえない昭和の写真を展示中

サナトリウムへようこそ――。白衣の店長が迎える不思議なカフェ

記事 INDEX

  • 天神に怪しげな一角
  • 異空間で広がる交流
  • 架空昭和史の「犬築」

 福岡市・天神に、ずっと気になっていた建物がある。ビルの窓辺に立つ人体模型が通りを見下ろし、夜になると赤いネオンで「サナトリウム」の文字が浮かび上がる。この場所で7月29日まで「AI犬築写真展」が開かれているという。怪しげな建物で行われる意味不明な名前のイベント。行くなら今だ――と意を決して訪ねてみた。

天神に怪しげな一角

 昭和通りから少し入った路地に立つビルの3階。階段を上っていくと、人体の解剖図や古い結核予防ポスターが壁に並んでいる。隅にひっそりと立つ人体模型と目が合ったような気がして思わず足がすくむ。


玄関へ続く階段には人体模型や解剖図が


 初めて出会うものへの”恐怖”と”好奇心”が同居する不思議な感覚。昭和の病院を思わせる木製の扉を開けると、明るい女性の声に迎えられた。「サナトリウムへようこそ」――。声の主は店長の「不思議子ちゃん」。スリッパに履き替えて中へ入る。


玄関でスリッパに履き替える。「ふ」は不思議の「ふ」だという


 ここはカフェ兼ギャラリーの「不思議博物館 分室 サナトリウム」。福岡県那珂川市にある「不思議博物館」の分館にあたる。運営しているのは北九州市出身の現代芸術家・角孝政さん(55)だ。本館・分室とも角さんをはじめとするアーティストの作品を展示しており、福岡の“ふしぎスポット”として知る人ぞ知る存在だ。


那珂川市の山の中にある「不思議博物館」(2022年撮影)


 本館が山中にあるため、「便利な場所に分室を」と2015年に天神にオープンした。コロナ禍で閉鎖の危機にも見舞われたが、コアなファンたちに支えられ、この6月から10年目に入った。


怪しげな人体模型が窓辺から路地を見下ろす


 なぜ店の名前がサナトリウムなのか? かつての結核など長期的な療養が必要な人のための施設を指すはずだが……。理由を尋ねてみると、角さんが幼い頃にテレビ番組で目にした長期療養施設のシーンが心に深く刻まれたことが影響しているようだ。


壁に貼られた結核予防デーのポスター


 自身の中で特別な存在になったサナトリウム。しかし誰もが、しかも自由に出入りできる場所ではない。「ならば自分で」と作家魂に火がつき、長年の”奇妙な憧れ”の対象をカフェ兼ギャラリーというカタチで表現した。



advertisement

異空間で広がる交流


白で統一された明るい店内


 営業は原則、土~月曜と祝日(12~18時)のみ。「不思議」「怪しいカフェ」「福岡」といったキーワードで検索して、訪ねてくる人も多いとのことだ。


テーブルや床は白いタイルで覆われている


 床にもテーブルにも白いタイルが貼られた店内に入るとすぐ、手術室にある医療用の照明が目にとまり、びっくりする人も少なくないそうだ。来店客の6割は県外からで、SNSで知って韓国や中国からやってくる旅行客もいるという。


脳の模型を手に。心霊モデルとしても活躍しているそうだ


 取材で訪問したのは土曜の正午。しばらくすると福岡市内や広島市からの男性客が入店してきた。「サブカルや怪しげな漫画など、趣味が近い人が集まる」ため、初対面でもすぐに話が通じるのが、この店の魅力の一つ。知らない人同士が打ち解けられるように、店長も上手に相づちを入れながら会話を弾ませていく。


聞き役に回り、知らない人同士の会話をつなぐ店長


 その店長、元々は「役者」だという。今は「心霊モデル」としても活動し、妄想心霊写真の展示会を東京や大阪で開いているそうだ。柔和な表情で調理から接客まで一人でこなす白衣の店長だが、黒い瞳の奥にミステリアスな雰囲気も漂う。


人体模型のそばの席で、いちごクリームソーダを楽しむ


 お薦めの一品を注文すると、「いちごクリームソーダ」を用意してくれた。器が大きなビーカーで、通常の2倍はありそうなボリュームだ。見た目だけではなく味にもこだわり、高級感を出すために「ちょっとお高い」シロップを使っているそうだ。


おつりは医療用のトレーで


 メニューには「食用脳みそパフェ」など、注文するのに躊躇(ちゅうちょ)してしまいそうなものも。昭和のイメージを大切にするため支払いは現金のみで、おつりは医療用のトレーで返してくれる。


架空昭和史の「犬築」

 「はじめはドキドキしたけど、入ってみたら意外と明るくて落ち着いた雰囲気」という声も聞かれるカフェ兼ギャラリー。ここで7月29日まで、架空昭和史作家・西川真周さんの「AI犬築写真展」を開催しており、1人1オーダーで作品を堪能できる。


壁一面にAI犬築写真が並ぶ


 架空の世界をリアルに表現した作品に、角さんが魅了されて実現した写真展。西川さんの設定によると、「犬築」とは1970年代にブームを巻き起こした建築様式で、犬の形をした建造物が各地に広がったそうだ。写真展会場にはAI(人工知能)を駆使した作品が並び、「まったく見たことがないのに、なぜだかすごく懐かしい」と錯覚しそうな世界を楽しめる。


生活感や建物の汚れ具合も絶妙だ


 過去にひょっとすると、日本のどこかに存在した建物なのではないだろうか――。そう思ってしまうほど絶妙なリアリティー。架空の建造物が周囲に溶け込んだ写真の前に立つと、空想と現実が入り交じった”ふしぎワールド”に引き込まれてしまう。


想像を膨らませてくれる犬形の巨大マンション


 「この物件ならペットOKだろうな」などと考えながら、高い完成度の作品を隅々まで眺めていると、つい顔がほころんでしまう。店では展示作品の人気投票を行っており、じっと見入ってしまった犬の形の巨大マンションに一票を投じた。


写真展に合わせて角さんがつくったミニフィギュア


 角さんは今回の写真展に合わせ、ミニフィギュア50個をつくった。「数十万円かかり、明らかに採算割れだけど、どうしてもつくりたかった」という。思い入れのある写真展のために用意した労作だが、「残念ながら、期待の10分の1の反応」と笑う。


雨の日の夜、怪しげなネオンが光っていた


 取材を終えて店を出るとき、店長が「お大事に」とやさしい笑顔で扉まで見送ってくれた。そうか、ここはサナトリウムという設定だった。何時間か前の違和感はすっかり消え、楽しいアートを堪能できた心地よさを感じながら階段を下りた。



関連記事はこちら ↓



advertisement

この記事をシェアする