「筑豊の炭坑」を鉄のアートで再現 宮若市の「鉄の美術館」

石橋さんが10代の頃に働いた炭坑の光景を鉄の人形で表現した
記事 INDEX
- 少年時代の記憶をカタチに
- ステンドグラスとの共演も
- 好きなモノだけ作り続ける
鉄で作った人形で「筑豊の炭坑」を表現した作品の屋外展示が、福岡県宮若市龍徳の「鉄の美術館」で5月から始まった。美術館を主宰する鉄工芸作家・石橋鉄心さん(80)が「10代の頃に働いたことのある炭坑の光景を多くの人に知ってほしい」と、かつて筑豊で見られた昭和の懐かしい情景とともにリアルに再現した。
少年時代の記憶をカタチに
石橋さんは鉄工業を営む傍ら、42歳の頃から鉄を用いた芸術品を本格的に制作してきた。80歳を過ぎた今でも創作活動に入ると、朝から夕まで毎日のようにハンマーを手に溶接作業に没頭する。これまでに500点を超える鉄のアート作品を作り上げ、アトリエを兼ねた美術館で300点ほど展示している。
「水洗場で働く女性たち」の作品は、地底から石炭と一緒にトロッコで運び出される「ボタ」を洗い落としながら、石炭を取り出す様子が描かれている。作品の背景には、中学2年の夏休みに自宅の近くにあった炭坑で1か月ほど働いた記憶がある。
そこは、10~20歳代の若い女性たちが中心になって作業を進める重労働の現場だった。「休憩時間になると『食べんなー』って、乾パンやあんパンをもらってね。かわいがってもらいましたよ。楽しかったなー」
隣にある作品「炭坑節を踊る女性たち」は、太鼓を打つ少年を囲むように踊る労働者たちの姿を再現した。ストーブの灰などを積んでボタ山を作り、筑豊が最も栄えていた頃の風景を描いた。踊りの輪の先には、田川市の炭鉱遺産「二本煙突」が立ち、その上に月が見える。廃材となった車輪の軸を煙突に、煙はステンレスで表した。
中央で太鼓をたたく少年は石橋さん自身という。小学1年の頃、”大役”を任されてドキドキしながらバチを握った。「怖いおばちゃんがいたことを思い出してね。しょっちゅう怒られました」――。そんな記憶と"再会”しながら制作を進めたそうだ。
ちなみに月明かりの下で炭坑節を歌っているのは、歌手の三橋美智也さんとのこと。作品に取り組んでいる時間は、幼少期に戻った気分になれるという。
ステンドグラスとの共演も
多彩な作品を屋内外で楽しめる入場無料の美術館。季節の花々が咲き誇る屋外にそびえる高さ3メートルの「筑豊スカイツリー」は、東京スカイツリーの完成を祝って制作した。
館内には、甲冑(かっちゅう)を身に着けた武将たちの作品も。武将に囲まれた大阪城は、3か月以上かけて作り上げたそうだ。
ほかに、厚さ1ミリの鉄板を溶接して作ったクラシックギターもある。ギター好きが高じ、「鉄で作ったらどんな音を奏でるのだろう」と思ったのがきっかけ。重さ3キロの鉄製ギターの弦をはじくと、「ピーン」と独特の音色が館内に響く。「聞く人が判断してくれればね」と石橋さんは笑顔を見せた。
美術館の至る所で目にするのが、鮮やかな色彩のステンドグラスだ。20年ほど前から、ステンドグラス作家の有吉ゆかりさん(77)が館内に工房を置き、石橋さんとタッグを組んで、ステンドグラスと鉄を組み合わせた独自の世界観を作品にしている。
重厚な鉄板に、ステンドグラスをはめ込んだ扉は、ひときわ存在感を放っていた。四角や丸に限らず、ゆるやかな曲線に切り取られた各パーツが鉄の扉と調和し、有吉さんは「ガラスと鉄の接合部の柔らかい感じが一番の魅力」と話す。
好きなモノだけ作り続ける
昭和初期の民家を改造したという美術館。見上げると、カラフルな和紙が天井にランダムに貼られている。衣装作家でもある有吉さんが、柿渋を塗って仕上げた一閑(いっかん)張りの和紙でアートな空間を演出した。
色彩豊かな天井から下がるシャンデリアには、ガラス装飾の代わりに、フォークやスプーン、鍵などがつるされている。身近な品々に光を当てたセンスある作品の数々が、見る人を飽きさせないように館内にちりばめられていた。
馬車鍛冶屋の長男に生まれ、鉄工所の溶接工として15歳から働いてきたという石橋さん。多くの作品の根底にあるのは"自身の体験”だ。「もうけは考えない。好きなモノだけを作り続けたい」という思いを貫いてきた。
「鉄は思った通りになってくれる私のおもちゃです。あと20年、100歳までは創作に打ち込みたいですね」。鉄と語り合いながら、思いをカタチにしてきた石橋さんの生き方に、たくさんの元気をもらって美術館を後にした。