艦船の「遺影」を精密な鉛筆画で 大刀洗平和記念館で企画展

企画展で鉛筆画を描く菅野泰紀さん(大刀洗平和記念館で)=冨田大介撮影

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  • 徹底した史料分析で
  • 60か所に奉納・寄贈
  • 「肖像ー黒鋼之城ー」

 「鉛筆艦船画家」の肩書で創作する菅野泰紀(ひろゆき)さん(43)(大阪市)は、太平洋戦争で沈没した旧日本海軍の艦船を描き、ゆかりの神社や団体へ納める慰霊と顕彰の活動を続けている。「日本を守るために艦に乗り、最期を迎えた先人たちが忘れ去られることのないよう、後世に伝えるツールになれればいい」との願いがある。

徹底した史料分析で

 海底で眠る艦の「遺影」として描かれた作品は、徹底した史料分析と精密さが特長だ。写真だけでなく、乗組員の証言や戦闘記録を基に、艦船の構造を細部まで再現し、戦闘時の艦隊の配置や敵艦の位置、砲の向きにまで気を配る。福岡県筑前町の筑前町立大刀洗平和記念館で始まった企画展では精巧な作品44点が並ぶ。

 岡山市生まれ。広島大、名古屋大大学院で考古学を学んだ後、祖父の敏夫さん(故人)が始めた大阪市の不動産賃貸会社を継いだ。


精巧に描かれた菅野さんの作品


 海軍の艦船に関心を持つきっかけの一つも祖父だった。陸軍の主計大尉として南方にいた敏夫さんは偵察機に乗り、トラック諸島の泊地に停泊する艦隊を眼下に見た。ひときわ巨大な戦艦に驚くと、操縦士が「あれが大和です」と言い、何度か旋回してくれた。


 敏夫さんは南方で終戦を迎え、進駐してきたオーストラリア軍の裁判にかけられた。戦犯として死刑判決を受けたものの、約2年間拘束された後に解放され、日本ヘの帰還をかなえた。


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60か所に奉納・寄贈

 小学生の頃から繰り返し戦時の話を聞かせてもらった菅野さん。「大和のことは知ってはいたが、ファンタジーのようで現実味がなかった。実際に目撃した祖父が目の前で語ってくれて現実感が増し、引き込まれた」と振り返る。

 1作目を描いたのは2010年。家業に入るにあたって、リフォーム後の完成予想図を描く技法を学んだのをきっかけに、戦艦摂津の写真を模写した。

 14年には、真珠湾攻撃に参加し、フィリピン周辺の海戦で沈没した航空母艦瑞鶴(ずいかく)の戦没者慰霊祭を行っている橿原神宮(奈良県橿原市)に同艦の作品を初めて奉納した。


戦艦大和の甲板にいる乗組員たちは、絵を見る現代の人に手を振っているという


 海軍艦船には、航海の安全や武運を祈願する艦内神社が設けられていたことを知り、敏夫さんが語った大和の大和(おおやまと)神社(奈良県天理市)や熊本県湯前町の市房山神宮里宮神社(軽巡洋艦球磨)、鹿児島県薩摩川内市の新田神社(軽巡洋艦川内)など約20の分霊元にも納めた。現代や海外の艦船を描いた作品を含め、国内外の団体、遺族会、海上自衛隊のイージス艦、潜水艦など、奉納や寄贈先はこれまで約60か所に上る。


「肖像ー黒鋼之城ー」

 作品はすべてモノクロで、複数の硬さの鉛筆を使い分ける。消しゴムをかけて白を表現し、光や波、雲などの表情を加える。艦と運命を共にした人たちの遺影にもなればと、仕上げの段階でほぼすべての作品に乗組員を加える。海外の研究者との情報交換や史料の発見を踏まえ、完成から十数年を経て描き直したケースもある。

 独自の作品は国内外で高く評価され、22~23年には、米軍の沖縄上陸作戦を支援し、降伏文書調印の舞台となったことで知られる戦艦ミズーリの記念館(米ハワイ)でも企画展が開かれた。


企画展「肖像―黒鋼之城―」のチラシ


 大刀洗平和記念館での企画展「肖像ー黒鋼之城(くろがねのしろ)ー」は8月30日まで。「神社と艦船のつながりを知り、先人たちがどう生き、どう最期を迎えたのかに思いをはせてほしい」と話す。


 画家として依頼された作品の制作料や複製画、関連商品の売り上げを活動費に充て、福岡県久留米市や鹿児島県霧島市、宮崎県日向市の神社などへ奉納を続けていきたいという。


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