命の尊さを伝える「特攻花」 大刀洗平和記念館に原画を寄贈
筑前町の田頭喜久己町長(左)に1作目の原画を手渡す横山さん
記事 INDEX
- 喜界島で
- 平和の花
- 隊員の魂
太平洋戦争末期に特攻作戦の中継基地があった鹿児島県・喜界島で、「特攻花」と呼ばれているテンニンギクを描き続けている画家の横山忠正さん(74)(東京都杉並区)が1月28日、福岡県筑前町の大刀洗平和記念館に原画を贈った。記念館は館内で常時展示する。横山さんは「特攻花が何を語りかけてくるか、読み取っていただけたら」と静かに願う。
喜界島で
喜界町などによると、1931年、島に海軍飛行場が築かれた。43年頃までは機体に不具合が起こった際などに着陸する不時着飛行場として使われていたが、戦局の悪化に伴って2本の滑走路を備えた基地に拡張された。沖縄沖を目指して九州本土を飛び立った特攻隊員が島で一晩待機して翌朝出撃したり、敵艦を発見できなかった場合に島まで引き返し、再び沖縄へ向かったりする中継基地の役割を担った。
オレンジ色を黄色が縁取る花が特徴のテンニンギクは、基地があった現在の喜界空港周辺などに広く生育。島の女性たちが特攻隊員に贈ったと語り伝えられていることから、特攻花と呼ばれるようになったという。
平和の花
横山さんは抽象画家として歩んでいたが、自然界で花が見られなくなる時が訪れるとの危機感を抱き、78年からはヒマラヤ山脈やボルネオ島のジャングルなど、世界各地を訪ねて花を描いてきた。
サックス奏者としても活動する横山さんが特攻花を知ったのは、2016年の暮れのことだった。音楽仲間から言い伝えを教わったことをきっかけに特攻について自ら調べ、出撃が盛んだった時期に合わせようと、翌年5月に初めて島を訪れた。
「隊員たちが最期に見たであろう海や空の色、月明かり、空気やにおいを体感したい」と、かつて飛び立っていった滑走路の傍らで花開いていたテンニンギクを1輪摘み、神棚に供える榊(さかき)立てに生けて、東シナ海を望む浜辺に置いた。その姿を撮影し、東京のアトリエで1作目を描き上げた。その年の終戦の日の夜のことだった。
それからも、繰り返し島を訪問。特攻機が離陸した夜明け前後など、時刻や天候によってさまざまに表情を変える島の風景の中に花を置き、油彩で60点近い作品を描いてきた。「世界中でいろいろな花を追いかけてきたが、これほど平和の尊さを背負った花はない」と語る。
隊員の魂
19年には島で、20年には同じ特攻の中継基地として機能した大刀洗飛行場について継承する大刀洗平和記念館で特攻花の絵画展を開催。「各地の戦争や平和に関する施設で巡回展を開きたい。その後に原画を寄贈する」と記念館側に伝えた。
コロナ禍で巡回展の構想は立ち消えになったものの、戦後80年の節目を迎えたこともあり、福岡県久留米市でギャラリーを開く本松康子さん(62)の元で保管している原画のうち、1作目を含む5点を記念館に寄贈することにした。
記念館を訪れた横山さんは「この花を描いていると、特攻隊員の魂が下りてきて、よみがえってくるように感じる。命の尊さを伝える力に少しでもなれれば光栄です」と語った。







