父が設計した幻の戦闘機 長男が平和記念館で模型と対面

 太平洋戦争末期、B29などの重爆撃機を迎え撃つため福岡で開発された海軍の局地戦闘機「震電」。その機体を設計した鶴野正敬技術少佐の長男正英さん(82)(千葉県船橋市)が、実物大模型が展示されている福岡県筑前町の町立大刀洗平和記念館を初めて訪れ、実戦に投入されることなく終戦を迎えた「幻の戦闘機」の開発に尽力した戦時の父へ思いをはせた。

実戦投入なく終戦「良かったのでは」

 鶴野技術少佐は兵庫県出身で、東京帝大工学部在学中に海軍造兵学生になり、卒業後はロケット弾の開発や試験飛行の操縦などに当たった。1944年6月から、現在の福岡市博多区にあった九州飛行機で震電の開発に従事し、45年8月に3度の試験飛行を行ったが、そのまま終戦。1号機を米軍に引き渡し、同年11月に任務を終えた。2000年に82歳で亡くなった。

 正英さんは3月5日、企画展「異端の翼 震電」(5月9日まで)に合わせて友人らと来館。職員の説明を受けながら、模型や、自身が寄贈した羅針儀、計算尺などの遺品にじっと見入った。


父が設計した震電の実物大模型の前で職員と話す鶴野正英さん


 震電の特徴は、エンテ型と言われる翼の配置と機体後部のプロペラ。正英さんは「軍から指令された目的以上に、『今までにない飛行機を作ろう』としたことが感じられた」と言い、「敵と戦って殺すという目的を目指して仕事をしたのだろうが、(終戦で)その目的をやらなかったことは、父にとって、その後を生きるのには良かったのではないか」と語った。


 接収された機体は現在、スミソニアン国立航空宇宙博物館にある。記念館が日本ヘの返還を働きかけたことがあったが、実現できていない。正英さんは「日本には心の糧になる人がたくさんいる。取り戻したい」と話した。九州飛行機の流れをくむ渡辺鉄工(博多区)も訪れた。

「ゴジラ-1.0」撮影で製作

 大刀洗平和記念館の実物大模型は、日米で大ヒットした山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」の撮影のために製作された。映画の情報が漏れないよう、製作会社と筑前町が極秘で売買の交渉を進め、町が1100万円で購入することが決定。運送、設置費を含め約2500万円の予算を議会で通す必要があったが、議員に説明した後は資料を回収する念の入れようだった。

 2022年7月に常設展示を始めたが、売買契約書には、翌23年11月に映画が公開されるまでは、ゴジラの名称はもとより、映画で使われたことさえ公表しないとの条件が盛り込まれた。

 費用の一部を賄うクラウドファンディングでは、600人から計1271万円が寄せられた。コロナ禍で4万人台まで落ち込んだ入館者は22年度、震電効果で約8万2000人まで回復。ゴジラ登場を公表した後はさらに伸び、今年度は約9万5000人に届きそうだという。


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