半世紀ぶりに「芋島」復活へ! 宗像「地島応援団」がサツマイモ栽培を開始
記事 INDEX
- 高齢化が進む過疎の島
- 島の「応援団」が始動!
- 若者が島で暮らす糧に
福岡県宗像市の地島(じのしま)で、半世紀ぶりとなるサツマイモの栽培が始まりました。かつては「芋島」と呼ばれるほど栽培が盛んでしたが、島民の流出や高齢化で途絶。島に若い世代が残り、収入源の一つにできるようにと、島を応援するボランティアグループが「芋島復活」へ一歩を踏み出しました。
高齢化が進む過疎の島
宗像市などによると、最盛期の1955年には559人の島民がいました。半農半漁で、島の頂上まで芋畑が広がり、焼酎メーカーが原料の買い付けに訪れるほどでした。しかし人口減少や高齢化、イノシシによる被害といった要因が重なり、島の農業は衰退。サツマイモ栽培は50年ほど前に廃れたそうです。
人口も減り続け、今年3月末で132人。島外の施設や病院にいる人も多く、実数は100人を切っているとみられ、有人島としての存続を危ぶむ声もあります。
島の「応援団」が始動!
こうした現状に歯止めを掛けて島を守っていこうと、島に強い思い入れがある会社経営者や、離島振興を担当した経験がある市職員らが動きました。島民から教わった「芋島」のエピソードをヒントに、「安定した収入源にできるのでは」と栽培再開に挑戦することにしたのです。
宗像市で建築土木会社を経営する井上憲司さん(68)は24歳の時から地島で多くの工事を手がけ、島民と深く付き合ってきました。「古里のよう」という島のためにと、本土から台船で重機を運び込み、やぶになっていた耕作放棄地を市職員らと無償で開墾し、畑に戻しました。
昨年、ボランティアグループ「地島応援団」を発足。切り開いた畑に、近年人気の品種「ベニアズマ」と「べにはるか」の苗を試験的に植えました。鉄柵と漁網で二重に囲うと、イノシシに荒らされることなく、無事に収穫したサツマイモを島民たちと一緒に味わいました。
若者が島で暮らす糧に
本格的な栽培がスタートする今年は、畑を2か所、計約500平方メートルに広げ、5月下旬に560本の苗を植えました。応援団のメンバーに、島民や島に漁村留学している小学生も加わり、約20人が参加。秋の収穫後は、市内の仕出し店のおせち料理に採用されることが決まっているほか、複数の飲食店から引き合いがあるといいます。
応援団の目標は、島で生まれ育った若者が島で暮らすための糧となるよう、主産業の漁業に加え、収入源の一つに育てることです。応援団長の井上さんは「願いは島を守ることだけ」と言い、事務局の中脇貴裕さん(43)は「島民が自ら栽培し、出荷できるようになるまで、継続して関わっていきたい」と話しています。