英彦山の歴史をつなぐ 最古の宿坊「守静坊」を修験道体験の場として再生
記事 INDEX
- 当主の思いを引き継いで
- かつての間取りを再現
- よみがえる山伏の暮らし
日本三大修験山の一つに数えられる英彦山(ひこさん)で、山伏が修行していたとされる宿坊「守静坊(しゅじょうぼう)」(福岡県添田町)が存亡の危機を乗り越えて再生を果たしました。古民家活用などに取り組む一般財団法人徳積財団(飯塚市)が、昨年亡くなった当主の思いを引き継ぎ、修験道を体験できる場所として新しい道を歩み始めました。
当主の思いを引き継いで
かつて英彦山には多くの宿坊が存在し、山伏や参詣者が寝泊まりしていましたが、明治時代に修験道が禁止されるなどして衰退。現在も建物が残るのは十数軒で、「守静坊」はその中でも最古のものだといいます。正確な建築年代は不明ですが、遅くとも150年ほど前には建てられていたことを示す文献があるそうです。
30年ほど前までは借家として使われていたものの、以降は空き家に。当主で英彦山の研究者でもあった元駒沢大教授の長野覚(ただし)さんも、大学の仕事などが多忙で故郷に戻る機会も少なく、荒れ果てた屋内は人が住める状態ではなかったといいます。昨春、別の宿坊について相談を受けていた同財団副理事長の野見山広明さんが守静坊のことを知り、長野さんと連絡をとって、再生を目指すことになりました。
しかし、長野さんは昨年秋に他界。英彦山の歴史を紡いできた故人の思いを継いで、クラウドファンディングなどで資金を集め、改修作業に取りかかりました。
当初は数人で始まったプロジェクトですが、地元の人を含めて協力者が少しずつ増え、終盤には約180人が参加するまでになりました。大部分の改修が終了した今年7月、再生の喜びをともにする感謝祭を行うことができました。
かつての間取りを再現
よみがえった宿坊はきれいなかやぶき屋根で、かつての間取りを再現。壁などに描かれている絵はいずれも長い歴史を刻んできた貴重なものです。守静坊に長年伝わる神鏡をはじめ長野さんの遺品なども並んでいます。
野見山さんは「いろんな人の気持ちが積み重なって宿坊を直すことができました。病気になった子が回復して元気になったような、そんな気分です」と話します。
よみがえる山伏の暮らし
障子を張ったり、屋根を補修したりと、所どころを直す作業はなお続きますが、守静坊を拠点にした活動は始まっています。8月には、宿坊に泊まって山の暮らしを体験するイベントを企画し、子どもたちも参加しました。9月3日には、鏡を磨く「鏡師」を招き、鏡をきれいにするワークショップを開きました。
さらに、一緒に再生に取り組んできた写真家のエバレット・ブラウンさんは、京都と行き来しながら定期的に守静坊で生活。沢を歩いたり、ホラ貝を吹いたり、山伏の暮らしを現代によみがえらせる試みを始めています。
山伏が使っていたとされるホラ貝の音色――。再生した英彦山最古の宿坊「守静坊」で聴くことができます。#英彦山 #修験道 #添田町 #福岡 pic.twitter.com/OTqq0WDrsx
— 福岡ふかぼりメディア ささっとー (@fukuoka_sasatto) September 5, 2022
「宿坊が今の時代に合わせて、本来の役割を果たせたら英彦山全体の価値が大きく上がる」と期待する野見山さん。「300年後の子孫が今を振り返ったとき、『すばらしいことをしてくれた』と思ってもらえることをやっていくつもりです。日本人にとって英彦山が大切なふるさとだということを感じてもらえれば」と話しています。