繁栄の歴史を伝える昭和の妓楼 門司港の宿泊施設「ポルト」
記事 INDEX
- 港町の変遷とともに
- ハートの形をした窓
- 古き良き時代を歩く
北九州市門司区の門司港レトロ地区の近くに広がる住宅街。その一角で、かつて遊女が客をもてなす妓楼(ぎろう)としてにぎわった建物が、和洋折衷のゲストハウスに生まれ変わり、不思議な空間の宿泊施設として国内外の旅行者らに喜ばれている。
港町の変遷とともに
宿泊施設「門司港ゲストハウス ポルト」は、山口県下関市と門司区をつなぐ関門トンネルのそばにある。70年以上前に建てられた木造3階の施設を切り盛りするのは、門司港を愛してやまない児嶋桜さん(24)だ。北九州市立大の学生時代にポルトでアルバイトし、卒業後そのまま就職して、宿の責任者を務めるようになった。
北九州市立いのちのたび博物館で近現代史を担当する日比野利信学芸員によると、かつて周辺は塩田が広がるのどかな海辺の町だったという。繁栄の時代を迎えるのは港ができてから。明治後期になると遊郭街が誕生し、最も栄えた昭和初期には、旅館や料亭、置き屋など150軒以上が連なったという。
明治後期から大陸に石炭を輸出し、貿易拠点として栄えた国際港。そんな港町も、1958年に関門トンネルが開通すると貨物を載せたトラックの”通過点”となり、前年の売春防止法施行によって遊郭も廃れていった。
いま、一帯を歩いても昔の面影を見つけるのは難しい。老朽化で維持できなくなった建物も多く、児嶋さんによると、このエリアで妓楼だった建物が残っているのはポルトのみだという。
ハートの形をした窓
昭和初期の香りが色濃く漂う建物。手を加えるのは壁の補強など最小限に抑え、細部まで工夫が凝らされた意匠をできるだけそのままの状態で保っている。
入り口の扉を開けると、カラフルなタイルが敷かれた土間が広がる。白いしっくいが塗られた天井や、タイルで覆われた壁面が緩やかなカーブを描いている。レトロとモダンが絶妙に調和したエントランスだ。
長い廊下を奥へ進むと、3階まで続く吹き抜けの中庭が見える。手入れの行き届いた庭には日の光が差し、年季の入った廊下を柔らかく照らしていた。
廊下の壁には、しっくいで施された大きな温泉マークが。ピンク色のタイルをはじめ当時の姿をとどめた風呂場があり、旅行者が疲れを癒やす場となっている。
2階は中庭を囲むように椅子が並び、お茶も楽しめる。その背後にあるのは「裏階段」。場に溶け込んで目立たぬように存在し、遊客が帰る際に使ったそうだ。
3階へと続く階段を上ると、印象的なハート形の窓が目に飛び込んできた。
男女が情を交わす妓楼ならではのデザインかと思ったら、「猪目窓(いのめまど)」というものだと児嶋さんに教わった。猪目は災いを避けて福を招くと伝えられ、寺社などで使われる伝統的なデザインの一つなのだそうだ。
この窓がある部屋は図書室になっている。門司港を紹介する本や街を舞台にした小説などがあり、宿泊客らは館内で自由に読むことができる。
また3階には二つの雑貨店があり、門司港駅の駅名標をデザインした帽子や、かばん、Tシャツなどを販売している。ほかに、地元の作家によるアクセサリーや焼き物、木の玩具なども並び、宿で過ごす時間に彩りを添えてくれる。
古き良き時代を歩く
ポルトの客室は六つあり、シングルで1人1泊4800円(10月以降は5200円)から。ぬくもりのある土色の壁が特徴的な「陸」、窓に描かれた船のステンドグラスが美しい「船」、壁が青と白のコントラストになっている「波」など、それぞれ個性ある客室が用意されている。
「建物全体がおしゃれ。センスにあふれ、古さの中に高級感を感じる」と話す会社員の野村敬祐さん(30)は東京から訪れた。友人の勧めで宿泊したという。
妓楼だったことは、ここに来て知ったという。「共有スペースも多いし、しばらくゆっくり過ごしたいくらい」。野村さんはチェックアウト後も、入り口そばの畳が敷かれた共有スペースでノートパソコンを開いていた。
ひょうたんのとっくりをデザインした欄干をはじめ、建物全体に意匠が凝らされ、遊び心さえ感じられる建物。普段は目にすることのない造形が次々と現れて、時間の経過を忘れさせる。
宿泊客の中には各地の妓楼跡を巡る人もおり、インスタグラムで写真を目にして門司港を訪ねてくる人も少なくないという。
ポルトでの宿泊は、素泊まりが基本で、食事は土日の朝食を除いて提供しない。訪れた人に、宿を起点にして街を楽しんでほしいとの思いがあるからだ。
周辺には、地域の日常に溶け込んだ立ち飲みの店、元気な”おかあさん”が切り盛りする小料理屋やスナック、銭湯などが点在する。
「この店には今日、いい魚が入ったみたいですよ」。児嶋さんは周辺の店と連絡を密に取り、とっておきの情報を宿泊客に提供しているそうだ。
潮風とともに、古き良き時代の名残を感じながら街を歩き、地元のおいしいものを味わい、人々との出会いを楽しんでほしい――と願う。