人の手で?自然の力? 福岡・佐賀県境の海岸にある「包石」

福岡と佐賀の県境にある包石。奥に唐津城が見える

記事 INDEX

  • 絶妙なバランスで
  • 今の技術でないと
  • 謎は謎のままで…

 福岡と佐賀の県境、玄界灘に臨む海岸に、大きな石が絶妙なバランスで積み重なった「包石(つつみいし)」という不思議な"オブジェ"がある。高さは5メートルほど。少し調べてみると、謎多き場所のようだ。ワクワクした気持ちで現地を訪ねた。

絶妙なバランスで


包石のある海岸線を通って電車が唐津へ向かう


 福岡県糸島市と佐賀県唐津市が接し、国道202号とJR筑肥線が間近に迫る海岸。道路から見ると、ぽつんと丸い石があるだけの光景に映るが、砂浜へ続く階段を下りると、不思議な造形を間近にできる。


そばには測量日記に記された歌の碑がある


 包石に関する資料は少ない。日本初の実測全国地図を作成した伊能忠敬の一行が、この場所を1812年(文化9年)に訪れた記録があり、「測量日記」には『名にし逢う 響の灘の白波は 皷の石におとづるるなり』という歌が残されている。


包石について書かれた書籍は多くはなかった


 この包石が「不可解で神秘的」といわれる理由は、自然にできたものなのか、人の手によるものなのか――が、今なおはっきりしない点にある。


 糸島市文化課の担当者に聞いてみた。「大小複雑な石を巧妙に重ねるには相当に高い技術が求められ、とても人為的にできるレベルではありません。人が作ったものなら、何らかの記録が残っているはずです」と、迷いのない言葉が返ってきた。


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今の技術でないと

 2002年、九州北部を襲った台風によって包石が倒れた。この"事件"が「人為的なものではない」との説を後押しすることになったようだ。地域の人たちは"修復"に向けて募金活動を始め、その熱意に背中を押される形で、県境で接する二つの自治体が実現へ動いた。写真を基に施工業者が復元を目指したが、現代の技術や機械をもって臨まないと不可能だったという。


2004年に撮影された台風で倒れた包石 =宮島醤油(しょうゆ)提供


 石の接続部にセメントを注入し、中心部には鉄の芯を入れて固定した。台風被害から2年後、重機を投入して、なんとか倒壊前に近い形に戻すことができた。


石の接合にコンクリートが使われていた


 「人類出現のはるか前、たまたま自然現象に恵まれて誕生したのでしょう。そうでなければ、UFO論が飛び出すようなSFの世界です」と糸島市の担当者は言う。


包石の先に唐津市の風力発電所が見えた


 一方で、地元の歴史や文化を研究する「糸島ば語る会」会長の吉丸克彦さん(82)は異なる見解を示す。


吉丸克彦さん


 「どうやって持ち上げたのかは、分かりませんが」と前置きしたうえで、「私は人が作ったと考えています。自然にできたというのは不可解です」と話す。筑前国と肥前国とを分けた、現在の福岡・佐賀県境に位置することからも、「自然現象と捉えるのはちょっと難しい」と語る。


海岸に沿って走る国道202号


謎は謎のままで…


 両者の意見を聞いたあと、冷たい潮風を受けながら包石に向き合う。それぞれの主張に「なるほど」と思うが、いざ「どちらか」と問われると判断は難しい。


謎が多い包石


 一帯には起伏のある崖が立ちはだかり、江戸時代、小倉から唐津まで続いた唐津街道で「下り」の最大の難所とも言われていた。崖の上から海を眺めると、波打ち際に包石。見晴らしがよい日には、その先に壱岐(長崎県)まで望めた。


海岸にそびえ立つ


 あと少しで唐津にたどり着く――。「街道を行く人はきっと、包石のある光景を見下ろしながら、一息ついたのでは」と吉丸さんは想像を膨らませる。この点については、糸島市の担当者もうなずき、なんだか少しほっとした。


往時、包石は道標になっていたようだ


 雲の合間から差し込む太陽が、包石の上空で幾筋もの光の帯をつくり出す。やはり、謎は謎のままである方が面白い――と思った。


差し込む太陽が、幾筋もの光の帯をつくり出す



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