今年こそ!博多の熱い夏を 山笠と生きる博多の「山のぼせ」一家
記事 INDEX
- 親子4代「山のぼせ」
- 父の背中に憧れて
- 家族、仲間と育む絆
新しい年が始まった。新型コロナウイルスの拡大で、昨年は各地の祭りが中止・延期を余儀なくされた。福岡の夏の風物詩「博多祇園山笠」も戦後初めて開催が見送られた。千代流の総務・岡本達也さんの家族は親子4世代にわたる「山のぼせ」。山笠への燃える情熱を連綿と受け継ぐ一家は「次の夏」を心待ちにしている。
博多祇園山笠 疫病退散を願って約780年前に始まったとされる櫛田神社(福岡市博多区)の祭りで、7月1~15日の期間中に約300万人が訪れる。千代、恵比須、大黒、土居、東、西、中洲の「七流」が舁き山を奉納し、男たちが博多の街を駆け抜ける「追い山」で祭りは最高潮に達する。
親子4代「山のぼせ」
「この活気を後世に」 良祐さん(89歳)
岡本達也さんは千代流の代表役「総務」として、約1500人の男たちをまとめ上げる。山笠歴70年以上という父・良祐さんも2004年に総務を務め、現在は顧問の立場で流の運営に携わっている。
千代流は戦後の1950年に誕生した。当時19歳の良祐さんは、自分の流の山を舁ける喜びをかみしめて参加したという。以来、山笠には毎年出てきた。時代は昭和、平成、そして令和へ。「若い人が年々増え、どんどん活気が出てきた」と目を細める。
少子高齢化が進んだ現在も、夏が近づくと、山笠への熱い思いが若者たちを突き動かす。良祐さんは「若い人が参加している様子を見るとうれしい。この活気を後世まで残してほしい」と話す。
父の背中に憧れて
「山笠は人生そのもの」 達也さん(59歳)
良祐さんの長男・達也さんも、山笠のそばで育った。我が家も近所の大人たちも、山笠のことが頭から離れない山のぼせばかり。祭りに出るのは自然なことだった。
しきたりや行事のことは、まわりの大人たちが教えてくれた。父子の性格からか普段の会話は少なかったが、山笠への向き合い方は良祐さんの背中から学んだ。「一つひとつの行事に真剣に取り組み、役割を全力で果たす。とにかく真面目だった」
忘れられない父の姿がある。約40年前の追い山で、良祐さんは花形ともいえる「前さばき隊長」を務めた。台の上から舁き手に指示を飛ばし、大人数をまとめる姿を見て、17歳の達也さんは「すごい」と驚き、憧れた。
2004年、今度は達也さんが前さばき隊長となり、父は総務に。親子が中心となって動かした山は、「櫛田入り」で千代流の記録を塗り替える30秒60の成績を残した。
そして2020年。総務に立った達也さんが、新たな記録をつくろうと意を強くしていた矢先、新型コロナの感染が各地に広がり、山笠の延期が決まった。「気が抜けたようだった」。それでも、次回への準備に奔走するうち希望もわいてきた。
「山笠は人生そのものだと再認識した。次の夏は、山笠ができる幸せをかみしめたい」と願っている。
家族、仲間と育む絆
「人とのつながりが財産」 瞬さん(30歳)
達也さんの三男・瞬さんは、「時間を守れる人間になれ」と何度も言われて育った。「山笠に対して真面目で、仲間を大切にする父だからこそ、繰り返し言っていたのかもしれません」と振り返る。
家庭では茶目っけがあり、笑顔でいることも多い父。しかし、締め込み姿になると表情が一変する。口数が減り、笑顔も消え、代わりに背中で大勢の男を引っ張っていく。そんな姿を「かっこいい」と見つめてきた。
瞬さんが舁き手としてデビューしたのは中学1年のとき。以来、「誰にも負けたくない」とトレーニングに励み、大勢の中から実力者だけが加わる櫛田入りの舁き手にも選ばれるようになった。
人とのつながりが、山笠で得た財産という。「近所の人たちと家族のように育ち、何でも相談できる。一緒にいると心強い」。そんな仲間で集まると、話題はいつも山笠のこと。山のぼせの血はしっかり受け継がれている。
昨夏は、達也さんの声を背中で受けながら櫛田入りするはずだった。父の晴れ姿は次回へ持ち越しとなったが、想像して思わず笑みがこぼれた。
「どうせかっこいいっちゃろね」
次を担う期待の星 錬君(6歳)
そして、瞬さんの長男・錬君が現在の岡本家の4世代目だ。まだ山は舁けないが、集団の前を元気に駆ける「前走り」として祭りを盛り上げる。
「山が舁けるようになったら、一緒に櫛田入りをしたい」と瞬さん。「山笠は人とのつながりが大事。それを教えていきたい」とも。山笠への愛は家族や仲間との絆を育み、その宝が次の世代に引き継がれていく。(文:瀬戸聡仁 写真:浦上太介)