山笠はなくても疫病退散の願いを込めて 博多・櫛田神社に今夏唯一の飾り山が登場

記事 INDEX

  • 約780年の歴史ある行事
  • 今年は加藤清正と桃太郎
  • 新型コロナの収束を願い

 博多の夏の風物詩・博多祇園山笠で公開される櫛田神社(福岡市博多区)の新しい飾り山が7月1日、お目見えしました。今夏の山笠は新型コロナウイルスの影響で開催が見送られましたが、「博多のシンボルだけは作りたい」という関係者の思いから、1基のみ制作が実現。博多人形師の親子が、疫病退散の願いを込めて手がけました。


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博多の夏の伝統行事

 毎年7月1~15日に櫛田神社を中心に行われる博多祇園山笠は、約780年の歴史を刻んできた伝統行事です。期間中は約300万人の人出でにぎわい、フィナーレの追い山(15日)は、舁き山を担いで街中を疾走する男たちの熱気で盛り上がります。


追い山の熱気に沸く櫛田神社(2019年7月15日撮影)

 飾り山は例年、7月1日から市内14か所で公開され、鮮やかで豪華な装飾が多くの人の目を引きます。街中に飾り山が登場すると、祭りムードが一気に高まり、夏の訪れを感じる福岡市民も多いのではないでしょうか。追い山までに全て解体されますが、櫛田神社の飾り山はそのまま境内で、1年先まで公開されます。


1年を通じて飾り山が公開される櫛田神社

 今年の祭りは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、博多祇園山笠振興会が開催見送りを4月に決定し、山の制作も中止に。それでも、櫛田神社の阿部憲之介宮司らが「神社の飾り山は観光客も見物する博多のシンボル。何とかできないだろうか」と声を上げ、歴史をつなぐ飾り山の制作が決まりました。


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親子2代で制作を担当

 今夏唯一の飾り山を手がけたのは、博多人形師の中村信喬さんと息子・弘峰さんの親子。櫛田神社の作り手は3年に1度交代し、2人は今年からの担当です。


工房で飾り山の人形を作る中村さん親子(6月4日撮影)

 5月下旬から工房での本格的な制作に入り、6月26日に境内で組み立てを始めました。通常なら10人あまりの大工が2日間で完成させますが、今年は新型コロナウイルスの感染を防止するため3、4人に減らし、時間をかけて作業を進めました。


山笠関係者らが出席した「御神入れ」の様子

 6月30日夕刻には、山に神様を招き入れる「御神入れ」が行われ、山笠や神社の関係者らが出席。祝詞を奏上するなどし、飾り山がご神体となりました。


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疫病退散の祈りを込めて

 博多祇園山笠は、鎌倉時代の僧・聖一国師が当時流行していた疫病の退散を願い、町中で祈祷水をまいて回ったのが起源とされます。新型コロナウイルスが世界中に広がっている今、「疫病が猛威を振るっているからこそ、開催したかった」という振興会関係者も少なくありません。


境内での作業で飾りの位置などを指示する信喬さん

 櫛田神社の飾り山のテーマは、表が「加藤清正の虎退治」、背面の見送りが「桃太郎の鬼退治」で、表と見送りに共通するのは「退治」です。疫病退散を連想させますが、これは偶然で「誰が見ても分かりやすいものを」と、1月に決めていたテーマなのだそうです。

 しかし、おのずとコロナ収束を願いながらの作業になりました。「鎌倉時代と似たような状況で仕事を託され、常々口にする『人形師は祈りを込める仕事』という言葉を実感しています」。人形制作が佳境に入った6月上旬、信喬さんは工房で汗をぬぐいながら、今年の飾り山にかける思いを語りました。


「見た人が元気になってくれたら」と作業に打ち込んだ弘峰さん

 弘峰さんは、今回が初めての飾り山制作でした。全体のバランス、見上げる人の目線などを考慮する必要があるため、高い技術が求められるといい、弘峰さんは「何もない空間に絵を描く作業」と例えます。唯一の飾り山に対する注目度は高く、「チャレンジのしがいがあって、良い緊張感がありました」と振り返りました。


加藤清正の虎退治をテーマにした「表」

桃太郎の鬼退治を題材にした「見送り」


 阿部宮司は「福岡に飾り山がないのは寂しいと思う人は多いはず。『来年こそは開催できるように』という思いも込めました」と話しています。


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