火災に負けず紡ぐ歴史 「小倉焼うどん」発祥の店・だるま堂
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記事 INDEX
- 「あり続ける街」へ!
- 伝統と普及の両輪で
- 観光ガイドも“業務”
ジュー、ジューッ――。鉄板でいためる音、立ち上る蒸気、香ばしいかおりが食欲をそそる小倉焼(やき)うどん。その発祥といわれる店が、北九州市小倉北区の「だるま堂」です。今年1月の鳥町食道街の火災で休業を余儀なくされましたが、4月下旬から老舗百貨店の一角で営業を再開。店を愛する人たちの手で、新たな歴史が紡がれています。
「あり続ける街」へ!
だるま堂があり続けるのか、なくなるのか、どっちの北九州がいい――?
「そう考えたら絶対、『あり続ける街』がいいでしょ」
小倉北区にある老舗百貨店・小倉井筒屋の本館6階に設けられた新たな「だるま堂」の店内。“3代目”として店を切り盛りする「小倉焼うどん研究所」所長の竹中康二さん(56)は明解な問答で、店に注ぐ熱意を表現します。
竹中さんらによると、だるま堂は1945年、近くの鳥町食堂街で創業。終戦直後の食糧難の時代、焼きそばを作ろうにも中華麺が手に入りにくい中、創業者が干しうどんを使って調理したのが始まりと伝えられます。
その後は2代目の坂田照義さん、チヨノさん夫婦が継ぎましたが、店を守ってきたチヨノさんが2019年に体調を崩して他界します。後継者は決まっておらず、店の明かりが一時消えました。かねて創業者の親類から相談を受けていた竹中さんたちが事業の承継を決意。自己資金やクラウドファンディングで費用を賄い、できるだけ早く――との思いでコロナ禍の20年7月に営業を再開しました。
竹中さんは01年設立の同研究所の活動で、焼うどんによる街の活性化に取り組む中、長く親交を深めてきた坂田さん夫妻を「リスペクトしていた」と話します。
伝統と普及の両輪で
今年1月の大火で被災した後も、「先代、先々代の味を一日も早く提供したい」と奔走。小倉井筒屋にあった飲食店跡での再スタートにこぎ着けました。
その店はかつて、チヨノさんの体調を心配していた創業者の親類から「(もしもの時は)あんたたちでせんね」と相談を受けた場所。そこに、だるま堂の店を構えることに「運命的な縁を感じています」。
だるま堂で提供する焼うどんは現在2種類。「伝統のだるま堂味」(税込み770円)と「究極の研究所味」(880円)です。
だるま堂味は創業当時から引き継ぐ味で、一日寝かせてから調理する乾麺ならではのもちもち感が特徴。山口県下関市から取り寄せるウスターソースを使いつつ、あっさりとした“和”のテイストに仕上げています。「魚粉が味の決め手」と竹中さんは明かします。
生麺を用いる研究所味は、焼うどんのPRに取り組む同研究所が、全国各地のイベントでも披露している品です。生麺との絡みがいい中濃ソースを使い、こってりとした味わいとなっています。ちなみに、イベントの際は多い日で2000食を提供することもあるそうです。
いずれの味も、目玉焼きをトッピングする「天窓」を選べ、オススメとのことです。
6月下旬、同店でだるま堂味を注文した北九州市小倉南区の女性(70)は「約40年前にこの付近に勤めていたとき、よくだるま堂で食べた。懐かしい味で、ボリュームもあってうれしい」と笑顔でした。
観光ガイドも“業務”
小倉焼うどんは2021年度、文化庁の「100年フード」の「未来部門」で認定を受けるなど、一定の知名度を得ています。そんな焼うどんをきっかけに、北九州の他のグルメも知ってほしい――と、だるま堂では北九州の各区の名物を楽しめる「定食」も用意しています。
「小倉日記」は、焼うどんと小倉の郷土料理・ぬかだきなどがセット。八幡日記は八幡ぎょうざ、若松日記は若松で親しまれている料理「ぺったん」を味わえます。
また、店の入り口には「北九州のおすすめ情報」コーナーを設置。さまざまなパンフレットを常備し、竹中さんは「観光ガイドも業務です」と話します。
再出発を応援しようと訪れるファンも多いという新店舗。竹中さんは、先代や先々代が刻んだ歴史を胸に「いずれは鳥町食道街に戻りたい」と考えています。だるま堂の伝統を引き継ぎ、未来につなぐべく、その歩みは続きます。