北九州平和資料室が”再出発” 戦争のない未来を考える場に
記事 INDEX
- 展示品に触れて「戦争」を実感
- 被害者の立場、加害者の立場
- 戦争の真実を知り平和を熟考
戦争の悲惨さを伝える資料や戦没者の遺品などを紹介し、平和の尊さを考えてもらう私設の展示施設「北九州平和資料室 TICO PLACE(ティコ プレイス)」が北九州市若松区で”再出発”した。
展示品に触れて「戦争」を実感
昨年夏に閉館した北九州平和資料館のボランティアスタッフだった元小学校教員の小松芳子さん(55)が「戦争の記憶が薄れていく中、戦争を体験した人たちの平和への思いを次の世代につなぎたい」と一念発起。木造平屋の農機具倉庫を買い取り、旧資料館が所蔵していた約300点を譲り受けて開設した。
資料室は広さ40平方メートルほど。兵士への寄せ書きが鮮明に残る日章旗、軍服や鉄かぶと、陶器製の地雷や手榴(しゅりゅう)弾、戦意高揚を図った教科書、そして兵士の死亡通知書、米軍機が投下した焼夷(しょうい)弾などが所狭しと並ぶ。
この資料室には、二つの「こだわり」がある。一つは、展示品に直接触れられること。もう一つは、日本が犯した加害者側の一面も伝えることだ。
寄贈された遺品や戦時中の物資は、旧資料館の理念を受け継ぎ、ケースには入れずに展示している。その質感や重さ――、自分の手でじかに触ってみることで、新たな”気づき”があるはず、子どもが感じる”何か”がきっとあるはずと考えるからだ。
例えば、大人が両手で抱えないと持ち上げられない鉄製の爆弾。その重さや硬さ、冷たさを肌で感じてもらう。
手にした子どもは「爆発しなくても、こんなのが当たったら死ぬよね」と感想をもらす。関心を持ったところで、その仕組みを説明する。「こんな大きな爆弾が爆発して、ばらばらに砕けたらどうなるだろう? 先のとがった鉄の破片が多くの人を突き刺すよね。たくさんの人を殺すことが目標なんだよ」と語りかける。
今回、戦争や平和をテーマにした絵本などを集め、親子学習の場も新たに設けた。今後は、戦争体験者を招いた学習会も予定している。
被害者の立場、加害者の立場
もう一つのこだわりは、アジアの占領地などで旧日本軍が犯した残虐行為の写真などの展示。被害者であり、加害者でもあった時代。両方の立場の資料を見て、人間の弱さや理性のもろさ、そして立場の違いは紙一重のものであることを知ってほしいと願う。
9年間にわたり市民の手で運営してきた旧資料館が閉鎖された背景には、施設を日常的に管理できる人がいなくなるなど、メンバーの高齢化の問題がある。また、北九州市へ要望を続けてきた公的施設が、「平和のまちミュージアム」として勝山公園(小倉北区)の一角に昨春開設され、一定の目標を達成したという思いもあった。
「市民の戦争体験や当時の暮らしを物語る資料などを展示・継承していく」という役割を担うミュージアム。ここでは、小倉に落とされていた可能性のある原爆の話、8月8日の八幡大空襲の資料など、北九州と関連が深いものを中心に展示している。
とはいえ、「被害側の展示に偏り、加害者でもあった側面を伝えることには消極的」と小松さんは感じている。「この資料室でしか展示できないものを通して、そこを補っていければ」と話す。
取材で資料室を訪ねた日、小学校教師の岡崎遼さん(38)がやって来た。小松さんが示す展示品を時折手に取りながら、熱心に話を聞いていた。
「旧日本軍や慰安婦について、ある程度は知っているつもりだったけれど……」。そう話す岡崎さんには2歳の娘がいるという。「赤ちゃんを踏み殺しました」という証言の展示の前では、しばらく動くことができなかった。
我が子の姿と重ね、「胸が締め付けられる思い」と声を絞り出すように語った岡崎さん。1時間ほど滞在し、数々の写真や遺品と静かに向き合った。
戦争の真実を知り平和を熟考
資料室の名前「TICO」には、ある思いを込めている。戦争の「真実(Truth)」を知り、過去を自分のこととして「想像(Image)」し、戦争をしないためにはどうするべきか「熟考(Consider)」する。そんな場にしたいと願って頭文字をつないだ。
田んぼが広がるこの場所に資料室を置いた理由の一つは「近くに大きな団地があるから」と小松さん。聞くと「若い家族連れが『そばにあるから』と訪ねてくれるのではないかと思った」という。
悲惨な過去を知ることで、子どもは傷つき、ショックを受けるかもしれない。「そんな時には『あんたのこと大好きよ』とギュッと抱きしめてあげてほしい」
「こんな世界にはせんけんね」。平和であるということが、いかにかけがえのないものであるか、思いを引き継いでいってもらいたい――。小松さんの切なる願いだ。
北九州平和資料室 TICO PLACE
北九州市若松区蜑住245-3
電話:090-4514-2365