戦争を知って命の尊さを考える 北九州市平和のまちミュージアム

原子爆弾を載せたB29爆撃機が小倉へ向けて飛び立つ映像を児童たちが見守る

記事 INDEX

  • 空襲の恐ろしさを体感
  • 「今」がなかったかも…
  • 記憶を次世代につなぐ

 広島と長崎に原子爆弾が落とされてから78年。長崎原爆の当初の投下目標であった小倉の地に昨春開館した「北九州市平和のまちミュージアム」に、平和学習の小学生らが訪れている。6月には、優れた展示施設に贈られる日本展示学会賞を受賞した。

空襲の恐ろしさを体感

 ミュージアムが立つのは北九州市小倉北区の勝山公園の一角。かつて約4万人が働く西日本最大級の兵器工場だった小倉陸軍造兵廠(しょう)があり、1945年8月9日に長崎へ投下された原爆のまさに第1目標だったところだ。

 戦争を知らない世代が大半となる中で、戦争の悲惨さ、平和の尊さを考える場所に――という思いから建設された。


市役所そばに昨春開館した北九州市平和のまちミュージアム


 施設の広さは約940平方メートル。四つのエリアに分け、戦没者の遺品や戦時中の生活用品、焼夷弾(しょういだん)の模型、空襲の模様を伝える写真など約150点を紹介している。


焼夷弾や風船爆弾(奥)の模型などを展示


 展示品は北九州が歩んだ戦前、戦中、戦後を時系列でたどるよう配置されている。合併前の旧5市では合わせて17の映画館が営業し、戸畑に競馬場があったことなど活気ある戦前の暮らしから、上空に爆撃機が現れて空襲への備えが日常となった戦中へと時代が移り、終戦と戦後の復興へと続く。


大日本国防婦人会のたすきを掛けた人形。ガラス越しに館内の様子が映っていた


 ひときわ目を引くのは、360度シアターの迫力ある映像だ。映し出されるのは、約2500人が死傷した1945年8月8日の八幡大空襲。続く9日、原爆を搭載して小倉上空に飛来したB29が視界不良のため次の目標地点の長崎に向かったことをストーリー仕立てで紹介する。地元の戦争体験者への聞き取りを基に、振動や音響効果を駆使して当時の状況を臨場感いっぱいに再現している。


スクリーンに映し出される空襲後の八幡市街地


 制作側が意識しているのは、平和学習に訪れる小学6年生。「現実感を伴ってダイレクトに訴えかけるものを」と、過去に北九州で実際に起きた凄惨(せいさん)な光景が大きな画面に投影される。


 怖がる児童も少なからずいるため、「気分が悪くなったら出てください。怖いと思うなら入らなくてもいいです」と呼びかける。入り口にある黒いカーテンから首だけを出し、恐る恐る画面を見つめる児童もいるそうだ。


約2500人が死傷した八幡大空襲を描いたアニメ


 平和学習の一環で北九州市若松区から訪れた小学6年の執行結太君(11)も静かに映像に見入った一人。終戦当時、祖父母が八幡の工場のそばに住んでいたという。


 「もし原爆が北九州に落とされていたら、僕たちは生まれていなかったのかな。平和な時に生まれたことは、運がよかったのかな」。言葉を選びながら、ゆっくり時間をかけて思いを言葉にしてくれた。



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「今」がなかったかも…


空襲の際に使われた防空ずきんなどをかぶる体験コーナーも


 館内には防空ずきんなどを体験するコーナーや、長崎の戦争遺品を集めたスペースもある。8月8日の八幡大空襲による煙ともやで小倉上空の視界が悪かったため、米軍は小倉への原爆投下を断念したといわれている。もし、時間帯や風向きなど状況が少しでも違っていたら、小倉が被爆地になっていたかもしれない。


原爆が小倉に投下されていた場合の被害想定を説明する学芸員


 壁に掲げたパネルは、小倉に原爆が落とされていれば5万7000人が死亡したとの推計を示している。「小倉に住む人の5人に2人が命を落とした」「火災は戸畑や八幡にも広がった」。学芸員が被爆想定エリアの地図を指しながら「『今』がなかったかもしれないね」と語りかける。訪れた児童が通う学校の位置も示すことで、子どもたちが実感をもって受け止める。


焼夷弾の模型を手にし、大きさや重さを体感する


 館内の中央部には、八幡市街地を襲った焼夷弾の実物大模型が展示されている。投下後、内部にある110発がばらばらになって落ちていく仕組みを紹介。子どもたちはその模型に触れ、大きさや重みから”戦争”を体で学ぶ。


展示された風船爆弾の模型を見上げる児童ら


 このほか、小倉造兵廠で製造された風船爆弾の7分の1サイズの模型も展示。風船の部分は和紙を貼り合わせ、糊(のり)はコンニャクイモを用い、物資が不足していた当時と同じ素材で再現したものだ。


記憶を次世代につなぐ

 ミュージアムの課題に、市民らから寄せられる遺品の取り扱いがある。学芸員は現在2人で、ほかの業務も兼務している。受け入れ可能なスペースの問題に加え、遺品の価値を判断して取捨選択し、正しく説明する知見が求められる。


市民から寄贈された軍事郵便(画像の一部を修整しています)

 施設オープンから間もない昨年5月、古い郵便物を携えた男性がやって来た。「価値があるのか分からない。もし不要であれば捨ててほしい」。それは、兵士と家族が連絡を取る唯一の手段であった軍事郵便で、日中戦争時に中国北部の戦地から家族に届いたものだった。


「一目なりと見たいなあーと思ふ事度々であるが」という文字が確認できる

 現在の小倉南区の曽根新田から1937年に出征した男性からの手紙。紙が劣化してインクの文字も薄れた手紙を読み解くと、出征後に生まれた子どもの写真を戦地で手にして「一目なりと見たいなあーと思ふ事度々であるが」と、我が子への思いがつづられていた。男性の願いはかなわず、42年に中国で戦死した。

 「ここに持って来てくれてよかった。相談されることなく処分されていたら……」と学芸員の小倉徳彦さん(30)は話す。戦争経験者の子どもの世代までは、記憶が共有されていることも多い。しかし、その次の世代になると一気に難しくなるという。兵士の心情をつづった手紙を、孫にあたる男性が持参してくれたのは幸運だった。


「父ちゃんは泣く子は大きらいだよ」。息子のたくましい成長を願うはがき

 「戦争をまだ知る世代から聞き取り、資料を集め、確認する。今は、それができる最後のチャンスなのかもしれません」。小倉さんの一言が重く響いた。


見学を終えて感想を書く児童たち。平和への思いをつづっていた

北九州市平和のまちミュージアム
 北九州市小倉北区城内4-10
 開館時間 9:30~18:00(月曜休館)


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