芸術と農業のいいカンケイ 福津で暮らす「芸農人」に聞いた
記事 INDEX
- 幸せを交換する
- 祖母の褒め言葉
- 農業は“健康法”
芸術活動と農業の両立に挑んでいる男性が福岡県福津市にいます。明るく個性的なアクリル画が人気の寺嶋拓哉さん(25)。評価を得ているアートで生計を立てていますが、農作業による“相乗効果”もあるそうで、今年は「新たな拠点づくり」も目指すなど活動を広げていく考えです。
幸せを交換する
「『これだけは見たい』と熊本から来てくれたお客さんもいます」
福津市の観光案内施設「津屋崎千軒なごみ」。1月中旬、個展を開いている施設の一角を訪ねると、寺嶋さんがにこやかに迎えてくれました。
約30点が並ぶ会場でひときわ目を引くのは、100号(幅1.6メートル、高さ1.3メートル)の大作。福津をテーマに制作を進める過程で「2023」と描き入れたため、「23年12月31日にギリギリで仕上げた」そうで、今回が初お披露目です。
福津の好きなスポットや「日本が優勝したWBC」といった自分の関心に基づくもの、電気で動く飛行機や船など未来への想像――。1年半をかけた新作には、寺嶋さんの「好き」が詰まっています。価格は500万円以上の設定ながら、すでに購入に関する問い合わせも受けているそうです。
「『何でこんなに高いの』と言われることもありますが、僕は元々、売りたくないんです。さみしいけれど(欲しくて買ってくれる人との)『幸せの交換』になるように決めた値段なので、下げることもしません」
何でも気さくに話してくれる寺嶋さん。自然体で接する人柄もあってか、会場で足を止める人の姿が多く見られました。今回の個展は2月12日までで、入場無料。期間中はワークショップも開催します。基本的に教えることはせず、参加者は用意された画材で自由に描くそうです。
1月中旬に長女(7か月)とワークショップに参加したという女性(39)は「娘にとって初めてのアート。自由につくらせてもらい、お願いすると気軽に絵も加えてくれました」と笑顔です。その女性の勧めで来場した北九州市の両親(ともに68歳)は「絵に優しさがにじみ出ている。見ていると気持ちが明るくなる」と、にこやかに作品を見つめていました。
祖母の褒め言葉
寺嶋さんは、同県うきは市の出身。特に熱心に絵を描き始めたのは、「解離性障害」を発症した小学6年生の頃でした。
周囲からの強いストレスが原因とされる疾患で、寺嶋さんの場合、一時は食べ物の名前さえ分からなくなり、勉強も苦手に。学校に行けない日も度々あったそうです。
自宅ではよく、台所で絵を描いていました。「おばあちゃんがいつも褒めてくれて。『ベレー帽かぶって画家になれ』が口癖でした」
高校に進むつもりはありませんでしたが、周囲の勧めで特別支援学校へ。「行って分かったことがあって。『表現は人それぞれ。自由でいい』――ということです」
同じ絵でも、背の低い人が見ると作者の意図とは違ってペンギンに思えたり、目の見えない人には空が「青」ではなかったり。多様な感性に触れたことは、自身の創作の幅を広げました。現在の「教えない」ワークショップも、それぞれの「自由」を大切にしたいとの思いで生まれたスタイルです。
学校を卒業した2016年、障害者施設で働き始めました。それから間もなく、祖母が他界し、一時は絵を描く気力もなくなりましたが、周囲の励ましで再開。給料で買ったアクリル絵の具を使い、色鉛筆が中心だった学生時代よりカラフルな作品が増えました。
「埋もれるのがイヤ。『自分の絵』と分かるものを描きたい」
17年、介護施設の職員に。同年には東京パラリンピックを前に開かれたパラアーティストの巨大アートコンペで優秀賞に輝き、東京のJTB本社ビルに展示されました。また、母が地元で企画した個展を機に、「僕でもやれる」と自信が生まれ、招きに応じて各地で開くように。次第に、企業などから、ロゴやイラスト制作の依頼も舞い込むようになりました。
農業は“健康法”
コロナ禍もあり介護施設での勤務とアート活動の両立が難しくなり、20年に退職。父方の祖父(94)のサポートと作品制作に注力するため、祖父の住む福津市へ移りました。
海岸の清掃を通じて22年に出会ったのが、現在、アーティストグループ「音夢晴r樹(ネムハージュ)」としてともに活動するステンドグラス作家の衛藤直子さん(50)です。
「夜に眠れない」ことを衛藤さんに相談し、勧められたのが農業でした。糸島市の稲作農家を手伝う中で無農薬、無化学肥料栽培を学び、22年秋頃から福津市内の親戚の畑(約1000平方メートル)を借り、自ら野菜や果物を育てています。
土地に合う作物を探るため、当初は様々な種類に挑戦。この冬は白菜やタマネギ、イチゴなどを育てています。収穫した作物は、個人宅や飲食店に定期的に届けるほか、個展の会場でも販売しています。
「絵は、比較的(生活に)余裕のある人に(需要が)限られがちですが、食べ物はみんなに必要。アートとはまた違った人と接点ができ、やりがいも感じます」
オクラをモチーフにしたトレーナーをつくるなど、農業は創作のテーマも与えてくれます。何よりありがたいのは「夜、しっかり寝られること」といいます。「一日中ずっと絵を描いていると、夜に寝付けない。日中、農業をすることで体が疲れて眠ることができます」
なお、「音夢晴r樹」という一風変わったグループ名は、寺嶋さんと衛藤さんがともに好きな漢字「音」「夢」「晴」「樹」の4字と、アート(art)の中で芽吹いた双葉のように見える「r」に由来します。
2024年は、寺嶋さんにとってますます「チャレンジの年」になりそうです。夏には、たくさんオクラを育てて地域の子どもたちを招き、初のイベント「オクラ狩り」を予定。イチゴ狩りのように、愛されるイベントにしたいと考えています。
2月17~29日には、遠賀町のハナオコーヒーで、作品を展示販売する予定。そうした各地での個展も大切にし、インスタグラムでも情報を発信します。さらに、作品や農作物を展示販売できる常設の拠点を設けたい、とも考えています。
「たくさんの人とつながりを、しっかりと結んでいける場所にしたいです」
寺嶋さんたちの自然体の歩みが、さらに新たな道を開いていきそうです。