穏やかに笑顔を絶やさず円熟の技 足先で絵筆を握って60年
記事 INDEX
- 民芸庵の仲間たちと
- 古墳の装飾を陶板に
- 頼れる「よっちゃん」
生まれつき腕が不自由な福岡県宮若市の篠崎義昭さん(83)が、足の指先を器用に使い、市のシンボル・追い出し猫の置物の原型を整えたり、国史跡・竹原古墳の装飾を土産用の陶板に描いたりする作業を始めて60年を迎えた。
民芸庵の仲間たちと
開所から約40年になる宮若市の「民芸庵(あん)」。静かに作業と向き合う篠崎さんの姿がそこにあった。足の指に挟んだ絵筆や鉛筆を自在に走らせる様子は「手で作業しているのでは?」と錯覚してしまうほどだ。
民芸庵は知的障害などをもつ人たちの就労施設。追い出し猫をはじめとする陶芸品を年間2000点ほど作り、育てた野菜の販売も行っている。
施設の隣には、6世紀後半に築かれたとされる竹原古墳があり、石室の装飾壁画が一般公開されている。篠崎さんが陶板に描いているものだ。
篠崎さんは農家の6人きょうだいの末っ子として生まれた。5歳の頃に父親を病気で亡くし、母や兄たちが一家を支えた。腕を動かせない篠崎さんのことを、家族だけでなく地域や友人も、ごく自然に受け入れてくれたという。「自分がほかの人とは違うという違和感や劣等感を抱くことはなかったですね」
学校から帰ったら外へ飛び出し、友だちと野球に興じた。「脇にバットを挟んで打ちました。飛ばんですが、ちゃんと当てていましたよ」と振り返る。
古墳の装飾を陶板に
足の指に鉛筆を挟んで絵を描くことは、篠崎さんにとってごく普通のことだった。とくに三輪車の絵が好きで、時間を忘れて没頭したそうだ。
24歳の頃、特技を生かして陶板に描いてみないか、と地元の役場から声をかけられた。題材は、1956年に発見された竹原古墳の壁画。人や馬、日よけに用いる扇のような装飾が見つかり、注目されていた。壁画を模写した陶板を土産品にしたいという。
絵が得意とはいえ、それは鉛筆での話。筆で表現して色を塗るとなると、まるで勝手が違う。さらに、小さな陶板を仕上げるには細やかな技術が要求される。白い紙が貴重だった時代、古新聞を広げて、ひたすら練習を重ねた。
「とにかく馬ばっかり。なかなかうまくいかんで、何万回と描きました」。そんな篠崎さん、34歳の頃には「ふくろうと狂女」の作品で日本表現派新人賞を獲得するなど、着実に腕を上げていった。
頼れる「よっちゃん」
長い活動の途中には、自身の創造性を発揮できないと限界を感じ、「自由にいろいろ描きたい」と悶々とした時期もあったそうだ。「今にして思えば良い経験。鍛えられました」と静かな口調で当時を振り返る。
これまで、古墳の装飾に加え、招き猫やタヌキの置物などに絵付けしてきた。「こうしたい、といった不満は今はもうありません。ある意味、一番いい時なのかもしれませんね」と目を細める。
「篠崎さんがおらんと成り立たない」。民芸庵の施設長・菊池芳郎さん(74)も全幅の信頼を寄せる。作業場では、焼き上がった陶磁器の表面にできる微妙な凹凸を足先の感覚で捉え、修正が必要な箇所に鉛筆で書き込む。その目印を頼りにして、仲間と一緒に紙やすりで丁寧に削っていく。
施設の若い仲間からは「よっちゃん」などの愛称で呼ばれている篠崎さん。休み時間には、作業場の若い女性とディズニーやアニメの会話を楽しむ。優しい笑顔でやり取りする姿は年齢の差を感じさせず、まるで友人同士のようだ。
「周りの人がいいから、みんなも良くしてくれます。それで長生きしているのだと思います」。終始穏やかな表情で、感謝の言葉を口にする。
丸く、やさしく――、円熟の技で、陶器の表面をなめらかに整えていく篠崎さん。目の前の作品と、温和な丸顔が重なった。