久留米絣の創始者・井上伝 功績への再評価が地元で広がる

井上伝が織ったと伝えられる久留米絣の生地に見入る来場者(3月中旬、福岡県久留米市で)

記事 INDEX

  • 「頑張る女性の象徴」
  • 独特な斑紋が評判に
  • 大学生がSNSで発信

 国の重要無形文化財「久留米かすり」の創始者として知られる女性・井上でん(1788~1869年)の功績を再評価する取り組みが、出生地の福岡県久留米市で広がっている。織元の組合が伝をテーマにイベントを開き、久留米大の学生も研究プロジェクトをスタートさせた。地元が誇る文化の知名度向上に向け、伝を前面に打ち出したブランド化の動きも出ている。

「頑張る女性の象徴」

 「微妙なズレが生み出す独特なかすれ模様も魅力。こんなすてきなものが作れるなんて」

 3月中旬、久留米市内で開かれたイベント「藍・愛・でいフェスティバル『伝・デン・DEN』」。大分市から訪れた女性(76)は、伝が生前に織ったとされ、藍染めに白っぽい模様が配された絣の生地の展示に見入り、感想を語った。


井上伝の肖像画(久留米絣協同組合提供)


 イベントは久留米絣の織元でつくる久留米絣協同組合などが毎年、テーマを変えて開催している。販売やファッションショーが行われた会場で、今年は伝が愛用したメガネやハサミ、伝が織った布団柄を復元した作品も展示した。伝が織ったとされる生地は、伝の子孫で久留米市在住の三島康弘さん(61)が家宝として保管してきたもので、来場者らの関心を集めた。


 組合によると、今回は、家業を継いだ織元ら若い世代を後押ししたいとの思いで、若くして発展の礎となった伝の功績にスポットを当てることにしたという。田中陽子事務局長は「頑張る女性の象徴のような存在。お伝さんがいたから、今の久留米絣があることを知ってほしい」と語る。


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独特な斑紋が評判に

 伝は1788年、久留米藩城下の通外とおりほか町(現・久留米市通外町)で生まれた。藩領内では、綿花や藍染めの原料となるタデアイの栽培が盛んで、伝も幼い頃から機織りが得意だった。

 着古した藍染めに白い斑紋はんもんを見つけ、後の久留米絣の元になる技法を考案したのは12、13歳の頃。糸の所々をひもでくくって藍で染め、ひもをほどいて白い部分ができた糸で織り上げることで、独特な白い斑紋の織物を完成させた。伝が「加寿利かすり」と名付けて販売した織物は城下で評判となり、40歳の頃には弟子が1000人を超えたという。伝が亡くなった後も弟子たちが改良を加え、筑後地方を代表する特産品になった。


井上伝の作とされる絣の生地(久留米絣協同組合提供)


 しかし、時代とともに洋装化が進んで着物需要が減少し、生産量も減り続けた。組合によると、1909年(明治42年)に1505軒(従業員4万5720人)だった組合員は、83年(昭和58年)に99軒(同845人)に激減した。現在、組合員は久留米市周辺の市町に17軒、同市内に2軒だけとなっている。


大学生がSNSで発信

 伝の資料は終戦直前の久留米空襲で焼失し、ほとんど残っていないとされる。

 そんな中、今年のイベントのテーマが伝になることを知った久留米大の学生たちは昨年2月、「井上伝研究プロジェクト」を結成した。メンバーは地域連携活動の一環で久留米絣を取り上げてきた講義の受講者らで、文献調査や郷土史研究家からの聞き取り、フィールドワークを進めた。

 「利益を求めず、技術を広めた利他の心を持つ人」「夫との死別後も一人で子どもを育てた芯の強い女性」――。伝の人物像が浮かび上がり、SNSやユーチューブで情報を発信した。久留米絣の魅力をPRする昨年の「絣フェスタ」では研究発表も行った。

 同大法学部3年の学生(20)は「伝は発想が豊かで面白い人。今後、新資料の発見につながればうれしい」と期待する。


絣の新作などが披露されたファッションショー(3月中旬、福岡県久留米市で)


 一方、子孫の三島さんは独自に、伝を前面に打ち出した久留米絣のブランド開発などを目指し、資金を募るクラウドファンディングを始めた。将来的には、伝を顕彰して久留米絣の原点を伝える拠点施設「おでん会館(仮称)」設立を目指すという。


 三島さんは「久留米絣の後継者不足や市場縮小が進む中、伝統的な技術が生み出す本物の魅力を発信していきたい」と意欲を見せている。


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