大きな石の上に小さな祠 糸島市の住宅街にある「大石神社」

大きな石の上に祠が置かれた大石神社(奥は糸島市中心部)

記事 INDEX

  • ここになぜ?
  • 語り継ぐ歴史
  • 地域をむすぶ

 福岡県糸島市の中心部に位置し、住宅地が広がる大石地区。ここには、大きな石の上に祠(ほこら)がぽつんと置かれた不思議な神社がある。その名も大石神社――。そばには鳥居や賽銭(さいせん)箱があるものの、常駐する宮司はいない。なぜ、ここに神社が? 気になって調べてみた。

ここになぜ?

 過去の新聞やネットの記事で探してみたが、わずかな情報しか見当たらない。糸島市や伊都国歴史博物館、福岡市博物館の学芸員に聞いても「分からない」という。福岡県立図書館で「期待はしないでくださいね」と言われつつ、学芸員の助けを借りると、大石神社について少し記載された糸島郡誌などいくつかの書物が見つかった。


大石神社について記載された書物


 怡土志摩(いとしま)地理全誌(糸島新聞社)によると、高さ2.5メートル、横4メートルの大きな石の存在が地名の由来になったという。


長さ4メートルある大きな石(360度カメラで撮影)


 幕末期の1851年、筑前福岡藩の第10代藩主・黒田斉清の墓をつくるために、この大石を切り出すように命じられた。そこで住民たちは訴える。以前にも同じような命を受けて実行しようとしたが、村で災難が続発したので断念した――と。そんな因縁のある石であることを陳情したところ、切り出しは免れたという。


古くから良質な石材の産地だった可也山


 大石神社の近くには、姿が富士山に似ていることから、地元で「筑紫富士」「糸島富士」とも呼ばれる可也(かや)山がある。古くから良質な石材の産地として知られ、日光東照宮の大鳥居にも用いられたとの記録が残る。


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語り継ぐ歴史

 「地元の人なら詳しく知っているかもしれませんね」と助言され、区長ら何人かの紹介を伝っていくと、この地で生まれ育ち、神社の氏子でもある中村一茂さん(73)に話を聞くことができた。


 語り継がれてきた話によると、この大石は昔から住民のよりどころとして、地域の守り神のような存在だった。大石の切り出し命令が下されることを恐れていた住民たちは、”危険”を察すると「石を隠せ」と呼びかけ、大石を死守しようとしたという。


石を切り出す際の痕跡と思われる穴があった


 「本当かどうかは分からないですが」――。中村さんは前置きしたうえで、「災難が続発したと訴えることで、大石の切り出しを頓挫させようとした可能性があるようです」と話してくれた。いつしか、この石が大石神社と呼ばれるようになり、祠もつくられたそうだ。


いつしか大石神社と呼ばれるようになった


 その神社の様子をしばらく見守っていると、大石に向かってお祈りする人の姿もあった。神社の前で待ち合わせをしていた地元の女性(67)は「ここを通るたびにパワーをいただいています」と、両手を石に添えた。「何かお願いごとを?」と尋ねると、「いつまでも元気でいられますように」と笑顔が返ってきた。


石に向かって手を合わせる女性


 中村さんの幼少期、田んぼに囲まれた大石の周辺だけが少し開けた広場のようになっていたという。「夕涼みをしたり、石に登って跳びはねたり。子どもの格好の遊び場でした」。周辺にも大きな石がごろごろと転がっており、石を求めてやって来た大人を手伝い、小遣いをもらうこともあったそうだ。


地域をむすぶ

 現在では、福岡市のベッドタウンとして住民が増え、民家が立ち並ぶ大石地区。毎年8月おわりには、神社周辺で「大石祭り」が開かれ、多くの人でにぎわう。40回目を迎えた今年は、舞台を設けて高校生が太鼓を披露し、ミニコンサートも行われた。


間近に住宅がある


 「こんな狭いところに200人ほどが集まるんですよ」と中村さん。祭りに合わせて家族連れで帰省する出身者も多く、懐かしい顔がそろう貴重な機会にもなっている。


大石神社を中心に地域の輪が広がる(360度カメラで撮影)

 「大石があることで、地元の歴史が語り継がれ、人のつながりが保たれているのだと思います」。子どもたちが集まってゲームを楽しんだり、時にはカップルが休憩に訪れたり、大石神社は今も地域のシンボルとして住民らに愛されているようだ。


神社そばにまつられた石に花が供えられていた


 そんな光景を通りすがりに目にするたびに、「石の周囲で遊んでいた幼い頃を思い出します」と中村さんは話していた。



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