「茅乃舎」の茅葺き屋根を一新 九州各地の職人が久山町に結集

茅葺き屋根のふき替えを終えた茅乃舎の前で、作業を振り返る三苫さん

記事 INDEX

  • 西日本最大規模の茅葺き
  • 全国区へ!飛躍の場所に
  • 「食と建築の伝統を守る」

 福岡県久山町の農村地帯を抜けた山の中にぽつんとたたずむ茅葺(かやぶ)き屋根レストラン「御料理 茅乃舎(かやのや)」が、約20年に1度の屋根のふき替えを終えた。運営する久原本家グループ(久山町)の「茅乃舎だし」を全国ブランドにしたきっかけを生んだ場所でもあり、九州各地から結集した職人らにより、約80トンの茅を使って装いを一新。茅葺き屋根が少なくなる中、ブランドと伝統建築、食文化を発信する拠点として6月19日に再オープンした。

西日本最大規模の茅葺き

 「これだけ大きな茅葺きは珍しい。屋根の裾が十二単(ひとえ)のようにきれいに広がることを意識した。職人として手掛けられてうれしいし、残していくこともできて良かったね」

 ふき替え作業で棟梁(とうりょう)を務めた奥日田美建(大分県日田市)の三苫義久会長(88)は目を細めた。


ふき替え作業が始まった屋根(久原本家グループ提供)


 茅乃舎は2005年に開業したレストランで、今回初のふき替えを迎えた。茅葺き屋根は西日本最大規模で、高さ11.5メートル、幅37.5メートル。ふき替え作業は大分、熊本、佐賀県などの職人9人が集まり、2025年に入ってから作業をはじめ、約4か月をかけて行われた。傷んだ茅を取り除いた後、国内最大の草原を抱える熊本県・阿蘇地域などで産出された茅の束を屋根に差し込むなどして装いを新たにした。


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全国区へ!飛躍の場所に

 このレストランは、しょうゆ蔵の4代目として久原本家の社長を務めていた、河辺哲司社長(70)の発案で作られた。母親の実家で行われたふき替え作業を見学した際、建築物としての美しさと職人の技術に感動し、ふき替え作業に携わっていた三苫さんに協力を依頼した。

 ただ、建設費が約4億円と高額で、約20年ごとのふき替えにかかる維持費の負担も懸念されるうえ、本業ではない事業が軌道に乗る保証もなかったことから、社内は反対一色だったという。最終的に河辺社長が押し切って建設を決め、05年に開業した。


改修が進む屋根(久原本家グループ提供)


 営業が続けられるかも周囲に心配されていたこのレストランが、会社の運命を大きく変えることになった。家庭の味を基本にした和の料理が人気で、提供した鍋料理のだしが評判となり、06年に「茅乃舎だし」として商品化。久原本家を全国区の企業に押し上げるヒット商品となった。


「食と建築の伝統を守る」

 久原本家は「この建物がなければ、いまの茅乃舎ブランドはない」(広報)とする。売上高は、だし商品を販売する前の10倍以上とビジネスを急成長させている。今回のふき替えも少なくない費用が必要だったが、ブランドを象徴する場所としての価値が大きく、美しい姿を伝え続けることにつながっている。

 河辺社長は「20年前を超える立派な茅葺きができた。日本の食と建築の伝統文化を守り続ける場所にしたい」と話している。


改修を終えて再オープンを迎えた茅乃舎


材料調達など維持・継承に課題


 茅葺き屋根の維持、継承を巡っては、職人の減少と材料の調達難が課題になっている。
 農村部に多く茅葺き屋根の住宅があった1960年代頃までは各家に茅を刈る場所があり、近所で順番にふき替えを行うなど、農家が仕事の一つとして作業を担っていた。高度成長による家屋の近代化などとともに職人は減少。三苫さんが職人になった40年前は大分県の日田地区だけで約300人の職人がいたが、現在は九州全体で10人程度しか残っていないという。
 それ以上に課題となっているのが茅の調達だという。放牧される牛や馬が減り、農家の高齢化で草原の維持に必要な野焼きが行われない場所も増えている。
 九州最大の茅の産地になっている阿蘇地域では草原がこの100年で半分以下に減少。30年後も現在と同じ規模の草原を残そうと、野焼きに参加するボランティアの育成などが進められている。
 「草原を維持しなければ、茅葺き文化はなくなる」と話すのは、茅乃舎のふき替えにも参加した阿蘇茅葺工房(熊本県高森町)の植田龍雄さん(49)だ。植田さんは「1年でも野焼きができなければ質のいい素材は採れなくなる。茅葺きや草原に触れてもらって関心を持つ人を増やし、文化を残していきたい」とする。


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