「海女見習い」の地域おこし隊2人が独り立ち これからも宗像・鐘崎で!

海底へ向かう本田さん(右)と魚住さん

 「日本海沿岸の海女発祥の地」とされる福岡県宗像市の鐘崎地区で、海女文化を継承する地域おこし協力隊として市に採用された「海女見習い」の本田藍さん(33)と魚住由佳理さん(37)が、3月末で3年間の任期を終えました。2人は鐘崎に残り、海女を本職として独り立ちする道を選びました。


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海女文化のPRにも奔走

 滋賀県出身の本田さんは、京都大大学院で6年間、電気生理学を研究した後、私立高校の生物教諭になりました。宗像市の公募に手を挙げると、岐阜県出身の魚住さんとともに採用され、2018年春に鐘崎に移り住んで海女の修業を始めました。

 鐘崎では1900年代初頭に200人ほどの海女が活躍していましたが、2人がやって来た3年前は60歳代の1人だけに。今も本田さんと魚住さんを含めて4人しかいません。この3年間は海女や男性の海士の船に乗せてもらい、サザエやアワビ、ワカメ、ウニなどの素潜り漁を学んできました。


それぞれ考案したグッズを手にする本田さん(右)と魚住さん

 漁の傍ら、2人は海女文化のPRにも奔走しました。鐘崎の海の幸をその場で味わえる「あまちゃん食堂」の運営や水族館での海女ショーを手がけました。

 本田さんは昭和初期頃までの海女の衣装を身につけたペンギンのキャラクターを考案し、道の駅などでオリジナルのグッズを販売。小学校での環境授業や環境国際会議にも立ちました。ちなみにキャラクターにまだ名前がなく、「いい名前があれば連絡してください」と呼びかけています。魚住さんもオンライン料理教室やムラサキウニの殻を使った染め物の開発などに取り組みました。


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「ずっとここにいたい」

 4月からは個人事業主になり、宗像市の会計年度任用職員として受け取ってきた報酬もゼロに。本田さんは横浜市で生活する夫の一暁さん(31)とも離ればなれの状況が続きます。それでも「海女の収入で食べていけるのか不安はありますが、鐘崎の皆さんに良くしてもらい、ここにずっといたいと思いました」と言います。


鐘崎漁港のそばに立つ海女の像の前で、独り立ちへの抱負を語る本田さん


 本田さんは自前の漁船の準備が整うまでは先輩の船に乗せてもらい、その後は自分で操船して海に潜ります。魚住さんは夫が船を操る「艫押し(ともおし)」を務め、夫婦で漁に出るそうです。


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海洋ごみ回収の活動も

 本田さんは漁師仲間らと協力し、海の中で目の当たりにした海洋プラスチックごみの回収にも取り組みます。5月にも、巻き網漁船の漁師らと連携し、処理されずに海に流れ込んだプラスチックごみを回収する一般社団法人の設立を目指しています。


昨年春から取り組んでいる海洋プラスチックごみの試験回収(本田さん提供)

 しけで漁に出られない漁師の力を借りて、浜に打ち上げられたペットボトルなどを回収し、リサイクル工場に売却。その収益を漁師に還元する仕組みで、昨年春から試験回収も始めています。いずれは「海の環境を守るために漁師の手で集めたプラスチック」として付加価値を示せるようにしたいといいます。

 「バランスが保たれた海でなければ、生き物は減り、海女の文化も途絶えてしまう。環境に配慮した漁にチャレンジしていきたい」と本田さんは話しています。


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