テレ東 大江麻理子キャスターが語る福岡愛 思い出すふるさとの景色とは

記事 INDEX

  • 立ち食いうどんで「あと5分ーっ!」
  • 後輩に任せて見守るのが大江流
  • ふるさと福岡は本当に宝物だらけ

 テレビ東京「WBS(ワールドビジネスサテライト)」のメインキャスターを務める大江麻理子さん。2020年春にはキャスター就任から6年になります。スタジオを飛び出し、取材も積極的にこなす忙しい日々の中、ふと思い出すというふるさと・福岡県豊前市の風景。報道の世界に飛び込むきっかけも福岡にあったそう。大江さんのロングインタビューです。(聞き手:山根秀太、撮影:和田康司)


大江麻理子さん

福岡県豊前市出身。テレビ東京報道局所属。2001年入社。「出没!アド街ック天国」「モヤモヤさまぁ~ず2」「田勢康弘の週刊ニュース新書」などを担当し、2013年にニューヨーク支局。2014年からは「ワールドビジネスサテライト」6代目メインキャスター。趣味は読書、特に好きな一冊はミヒャエル・エンデの「モモ」。好きな言葉は「望みは空より高くあれ」。


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小倉駅の立ち食いうどんで「あと5分ーっ!」

 生まれも育ちも豊前で、中学から北九州市・小倉に通っていました。でも、学校でゼロ時限目というのが始まったら、とんでもなく早く自宅を出なければならなくなってしまって。中学3年からは寮に入って、高校卒業までの4年間は週末だけ豊前に帰るという生活でした。

――高校時代にはアナウンサーになりたいと宣言していたとか。

 そうなんですよね。高校の友人には「アナウンサーになりたい」と言っていたみたいで、びっくり。でも私の記憶がまったくないんです(笑)。きっとどこかで職業として捉えていたんでしょうね。

――メディアを志すきっかけは、ご実家が地元で新聞を発行していたことにもありそうですね。

 すごく影響していると思います。昔、曽祖父が地元で新聞を発行していました。ですから、自宅にはいろいろな資料がありましたね。地元の求菩提山にはお地蔵さんがいっぱい並んでいます。曽祖父は求菩提山の整備にも尽力した人で、父からそういった求菩提山の昔話や逸話を聞きながらハイキングしていました。


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――北九州・小倉の思い出とかもありますか?

 小学4年の頃から小倉の塾に通っていました。豊前から特急電車で通っていました。なので、帰る頃になるとおなかがすくんですよね。駅のホームの立ち食いうどん屋さんで、肉うどんを食べるのが楽しみでした。今もホームにうどん屋さんありますよね。店員さんと顔見知りになって、「おじちゃん」と呼んでいました。食べていると、おじちゃんが「電車が出るまであと5分ー!」って時間を教えてくれるんです。「おじちゃんが(電車)止めといてやるから早く食べろー」と、ホームと電車に片足ずつ乗せて待っていてくれました。今、しちゃダメですよ(笑)。


――小学生が特急で小倉までだと、ちょっとした小旅行ですよね。

 最初は母がついてきて電車に乗る練習から始めて、その次は少し離れた座席に母が座るんです。最後は、ほとんど見えないところからついてくる。

――「はじめてのおつかい」のスタッフみたい(笑)

 そうですよね。徐々に慣らしていって独り立ちさせるという。そういう経験もあって独立心旺盛な子に育ったのかもしれないですね。

 冒険気分だったからか、その頃の記憶が鮮明で。ちょうど小倉駅前の再開発が進んでいる頃で、百貨店の「そごう」が建つ前でした。建設予定地を発掘調査していて、発掘現場が道からもはっきり見えたので、塾の行き帰りに凝視して楽しかったです。道路の真横にかめ棺に入った人骨があって、「ほんとうに足を折り曲げて入っているんだ」と非常に興奮した覚えがあります。その頃は将来は考古学者になりたいと思っていました。

――中高生の頃、小倉で遊んだりとかは?

 校則も厳しかったですし、週末は豊前に帰っていたので、そこまで小倉で友達と遊んだということはなかったですね。でも、魚町の商店街で抹茶ソフトクリームを食べるのがはやり始めた頃で、あこがれの食べ物でした。


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より深く、より多面的な深掘りニュースを


――WBSのメインキャスターに就任して2020年春で6年になります。心境の変化はありますか。

 心境の変化はありませんが、気がついたら時代は着実に進んでいるんだなというのを感じます。ニューヨーク支局にいた2013年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、翌年春からWBSのメインキャスターに就任しましたが、国立競技場の設計が白紙撤回されるなどの問題もありました。でも気づけば開幕まで1年をきりました。国立競技場は完成し、聖火ランナーも発表されましたよね。こうして着々と時間は進み、毎日報じていることが積み重なって一つの歴史になっていくのだと、あらためて感じますね。

――大江さんは聖火ランナーしないんですか(笑)

 しないです。報じる側ですから(笑)

――取材現場やメディアを取り巻く環境も変わりつつあります。メディアの役割が変化していると感じますか?

 ニューヨークに赴任してすぐにボストンマラソン爆弾テロ事件がありました。現地メディアはスマホを手にカメラの前に立ち、ボストン市警が発表するツイッターのメッセージを読んでいました。ツイッターで発表するのかという驚きとともに、ツイッターの内容を伝えるだけでは、これからのメディアは厳しいだろうとも思いました。

 速報性だけでなく、よりニュースを深掘りできるかどうか。ニュースの解説や読み解きが、報道番組には必要になってくると感じました。ただ伝えるだけでなく、多面的な見方を伝える番組にしたいと思っています。WBSでは、ゲストコメンテーターに加え、滝田洋一さんと山川龍雄さんのお二人に解説キャスターとして入ってもらい、解説機能を強化しています。深掘りしたニュース番組にしていきたいと思っています。


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――トランプ大統領がツイッターでつぶやくタイミングが放送時間とよく重なるようですね。

 そうなんですよ。アメリカが朝で、活動を始める時間帯ですからね。今の時期(冬時間)だとちょうど番組が終わる頃につぶやくんです。すると番組ディレクターがスタジオに駆け込んできて「大統領が今こんなことつぶやきましたー!!」となることが多いですね。

――トランプ大統領だけでなく、今後はそういったことが当たり前になるのでしょうか。

 それは分かりません。ただ、「ツイートしました」と報じるだけで終わるのではなく、それによってどういった影響が出そうなのか、マーケットはどういう反応を示すのか、そういったプラスアルファのひと言を加えられることで、番組の価値や意義につながっていくと思っています。


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「働き方」は新たなフェーズへ


――WBSは30年以上続く看板番組の一つです。単純に「ひえー、大変そう」って思っちゃいます。

 ありがとうございます(笑)。そうですね。毎日、テレビ画面に出ることが大切だと思ってきましたし、だからこそ、どんなに具合が悪くても夜11時にはそこにいることをテーマに6年間突っ走ってきました。

 海外出張が急に入ることもあります。最近だとサウジアラビアに行きました。出張が決まったのが出発2日前で準備もそこそこ。当日は企業トップにインタビューをしてから、成田空港に向かって飛行機に乗って。現地についたら2時間くらいで準備をすませて取材です。その日の夕方にはWBSの中継。日本に戻った翌々日にはグーグルのピチャイCEOのインタビューで。事前に勉強もしておかないといけませんから、けっこう大変でした。

――深夜の番組をして取材もして、この人いつ寝てんだろうって思ってます(笑)

 現場主義と言いますか、取材に出るのが大好きなので、メインキャスターになってからも現場に出続けたいと要望して、出させてもらっています。でも、働き方にもフェーズがあるなと感じています。若いフィールドキャスターも育ってきています。これまでよりは現場に出る頻度を減らして、役割分担をしつつ自分のライフワークにしたいテーマは取材する、そんな時期にそろそろ来ているのかなと感じています。

――取材に出た方が楽しいし、発見もありますからね。

 そうなんです。ただ、持続可能かどうかという観点もあって。月曜日から金曜日まで夜の番組に携わって、朝から取材もしていたら、長くは続けられないですよね。今では「働き方改革」もありますし、私自身の体力的な面もあります。テレビ東京でも働き方改革はかなり進んでます。ディレクターの働き方は以前と比べてがらりと変わりました。

 でも、出演者の働き方改革がまだ道半ばなので、これが今後の課題ですね。会社が働かせているというより、出演者が働きたがっているところがあります。私も含めて、ずっとオーバーワーク気味の働き方しか知らない人たちですから(笑)。自分の中でどう折り合いを付けるのか、あれもやりたい、これもやりたいと欲張っていると、いつか息切れしてしまいますよね。


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