北九州・旦過市場の大火から1年 再生に向けて一歩ずつ前へ
失ったもの、失わない笑顔
北九州には縁があり、住む機会に3度恵まれた。3度目の住居は、窓から旦過市場が見える場所を選んだ。引っ越し当日、夕方に作業が一段落つくと市場北側入り口にある「たこ大王」のたこ焼きが無性に食べたくなった。
店へ走り、出来立てを部屋に持ち帰った。開けた窓からは春の風。冷えたビールとアツアツのたこ焼きで、新生活の門出を一人で祝った。その店も火災でなくなった。
そんな中、営業を再開した店舗の一つに「木下茶舗」がある。ここの木下人英さん(76)は市場の名物店主だ。歳末の取材で毎年のように訪れたが、通りを行く客に表情豊かに声を掛け、お茶や野菜を販売していた。
昨年12月に開けた現在の店は、間口1メートル、奥行き5メートルほど。被災した旧店舗の向かい側で営業していた「ぬかだき たちばな屋」の厚意で、倉庫のスペースを借りている。
営業できなかった間は「さびしかった」と木下さん。「(たちばな屋が)店の前やったけんね、仲良くしとったけん、今ここでやれています。ありがたいねぇ」
たちばな屋の女性店員が「旦過の歌手やけんね」と水を向けると、昭和歌謡曲「長崎は今日も雨だった」を歌い始めた。振り向くと、買い物中の年配の女性が「聴かせてもらっていますよ」とほほ笑んでいた。
即興の歌謡ショーは続き、そのまま3曲目に入る。「歌い続けたら(記者が)帰れんやんね」。元気な笑い声が市場に響いた。
1度目の火災で全焼した精肉店「戸根食肉」は3月、焼失を免れた店の看板を掲げて約11か月ぶりに営業を再開した。
戸根食肉と言えば、昭和のかおりを伝える年季の入った看板。夜、ライトに照らされる看板は、文字の剥がれ具合が”絶妙”で、「絵になるなぁ」と見上げながらカメラを向けていた。
幼い頃から旦過市場が遊び場でもあったという従業員の松井勝博さん(68)によると、唯一焼け残ったこの看板は、がれきが撤去される前に、知り合いの解体業者が保管してくれていたのだという。「市場の記憶を伝え、見守ってくれているようです」
見え始めた”にぎわい”再び
3月終わりには、火災の跡地に「旦過青空市場」と名付けられたプレハブの仮設店舗が完成した。被災店舗を含む21店が入居を予定しており、うち野菜や鮮魚、精肉などの10店が4月中の営業開始を目指している。
プレハブの店舗は、市場を再整備する北九州市の事業で商業施設が新設されるまでの約3年間、利用することになりそうだという。
「写真の持つ力」が発揮されるときが、いつか必ず訪れる。だからこそ記録すべきだ――という思いを持ち続けている。その気持ちは、ここ旦過市場にも当てはまる。仕事の合間や休日など、時間を見つけては撮影を続けてきた。
しかしながら、火災直後の生々しい痕跡をとどめる姿を写真に収めるのは正直、気の重いことでもあった。
火災から1年になるのを前に訪れた旦過市場は、姿は変われども活気を取り戻しつつあった。海外からの観光客の笑顔もあった。
被災直後は、どこか義務感に似た、やるせない気持ちでシャッターを押していたように思う。あれから1年、少しずつでも前に進もうとしている市場を目の当たりにして、写真に記録することを楽しもうとしている自分がいることに気づいた。
「過去ばかり振り返って感傷に浸っていたら前に進まないよ、あんたも前を向いて!」――。帰り際、エールを送られた気がした。