北九州・旦過市場の大火から1年 再生に向けて一歩ずつ前へ

最初の火災から1年。仮設店舗(左上方)が建てられ、再起を目指す旦過市場(2023年4月、360度カメラで撮影)

記事 INDEX

  • 市民と歩んだ「昭和の風景」
  • 喜びも悲しみも写真に記録
  • 失ったもの、失わない笑顔
  • 見え始めた”にぎわい”再び

 昨年、2度の大規模火災に見舞われた北九州市小倉北区の旦過(たんが)市場。42店舗を焼損した1度目の火災から、4月19日で1年になる。心に残る情景を振り返るとともに、仮設店舗などで営業を再開して一歩ずつ前に進む市場の姿を写真で追った。

市民と歩んだ「昭和の風景」


プレハブの仮設店舗(中央部)が新たにできた旦過市場。右奥は小倉駅(2023年4月)

 市によると、4月と8月に起きた火災では延べ約5200平方メートルを焼損した。人的被害は免れたものの、市民に長く親しまれてきた市場の一部や、市場に隣接する飲食店街「新旦過横丁」、そして老舗映画館「小倉昭和館」も失われた。


(上から)被災前の旦過市場(2019年)、2度目の火災後(2022年9月)、現在(2023年4月)

 「北九州の台所」として市民生活を支え、古い市場が醸し出す昭和レトロな風情は多くの人に愛されていた。それだけに、焼失を嘆く声があちこちから聞かれた。


年末、大勢の買い物客でにぎわう(2019年)

 私自身も、かつては買い物の場として、また職場と自宅を行き来する通り道として、旦過市場の空気に触れることは生活の一部になっていた。


シャッターが下りた夜の市場の通り。猫によく会った(2020年)


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喜びも悲しみも写真に記録

 旦過市場に最初に足を運んだのは30年近く前、写真記者になって間もない新人時代のことだ。夏頃だっただろうか、マツタケが早くも店頭に登場したというニュースの写真を撮りに行った。初めて目にした場所なのに、どこか懐かしい感じがした。


市場の八百屋で販売されていたマツタケ(2010年)

 新鮮な視点を狙って超広角レンズを使い、マツタケを強調した構図で撮影した。いい写真が撮れたと確信したのに、ネガを見た上司に厳しくとがめられた。今思えば、理由はわかる。選んだレンズのせいで、写真のマツタケがあまりに大きすぎた。気まずい思いで店を再訪すると、店主が笑顔で迎えてくれ、ほっとしたのを覚えている。

 市場の大規模改築の計画が進む転機の一つとなった冠水被害も忘れられない。


市場のそばを流れる神嶽川が大雨で氾濫した(2010年)

 2010年7月14日早朝、すぐ隣を流れる神嶽川が大雨で氾濫し、濁流が市場に押し寄せた。本来は商品を陳列する台なのだろう。水没した市場で、途方に暮れた様子の女性が台の上に座り込んでいた。


未明の集中豪雨で市場内部も冠水した(2010年)

 気の毒に――と、うなだれる女性の心中を思う。しかし写真に記録しなければと自分に言い聞かせて、少し離れた所から望遠レンズで数コマ、シャッターを押した。

 北九州市立大学の九州フィールドワーク研究会などが2008年に開設した「大學(だいがく)堂」も思い出の一つだ。学生らが物産展やミニコンサートなどの交流イベントを開き、市場のライブ感を堪能できるグルメ「大學丼」は観光客に好評だった。


北九州市立大の学生らが運営していた交流スペース「大學堂」(2010年)

 刺し身や唐揚げなど、市場の各店で好きな具材を購入し、白いごはんの上にのせていく大學丼。人情味もかおるオリジナルのどんぶりは絶品だった。


大學丼に漬物をのせてもらう。店の人とのふれあいも楽しみの一つだった(2010年)

 市場を歩いているとき、どんぶりを手にした観光客に遭遇したことも。「それ大學丼ですね!」と思わず声をかけそうになった。その勇気はなく思いとどまったが、観光客が楽しそうに市場を巡る姿がとてもうれしかった。


市場を巡って完成した自分だけのどんぶり(2010年)


 その大學堂も8月の大火で被災。学生らは同じ場所での再開を目指したものの、建物は強度の問題から解体された。


人通りが消えた夜の市場も趣があった(2019年)



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