NYでナンバーワンになったヘアスタイリスト 地元福岡でたどり着いた仕事観とは

記事 INDEX

  • 「自由」を求めて美容師に
  • 解雇、そしてナンバーワンへ
  • 福岡で見つめ直した仕事観

 福岡を拠点に、東京、ニューヨークでも活躍するフリーランスのヘアスタイリストがいる。福岡市出身の大森寛子さん。ニューヨーク五番街の高級ヘアサロンで売り上げナンバーワンを獲得し、人気ヘアスタイリストとして活躍。長男の出産を経て福岡に戻り、東京の美容院では予約待ちが約700人という人気ぶりだ。海外で気づいたアジア人としてのアイデンティティー、好きなことをとことん突き詰めて楽しむ大森さんの仕事観とは。(文:山根秀太、撮影:中嶋基樹)


大森寛子さん

1981年、福岡市出身。福岡を拠点に東京、ニューヨークなどで活動するフリーランスのヘアスタイリスト。ニューヨークの人気ヘアサロン「ジュリアン ファレル」で売り上げトップを2年連続で獲得。妊娠、出産を経て帰国し、東京では約700人が予約の順番を待っているという。


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「自由」を求め美容師の道へ


大濠公園には息子を連れてよく訪れるという

 厳格な家庭で育てられた。絵を描くことが好きで、両親を説得してデザイン系の高校に進んだ。自由な高校生活に憧れたのに、そこは想像と違っていた。髪を染めては黒くされるを繰り返し、ついには染め粉をかけられた。

 きれいに染め直そうと訪れた福岡市内の美容院に、アフロ頭の10代の女性店員がいた。窮屈な日常で出会った彼女が自由に見え、「校則に縛られず、自分の腕で稼げる」からと、美容師の道を志した。高校を退学し、大学入学資格検定(現・高卒認定試験)を受け、大村美容ファッション専門学校に入学した。


インタビュー取材は大村美容ファッション専門学校で行われた

 「器用貧乏になるな」。講師の言葉を胸に、専門学校では誰よりも練習した。当時の大森さんを知る専門学校職員の上島泰則さんは「とにかくハートがピュアで、芯が強い。妥協をしない。自分の道は自分で切り開くタイプで、強烈に記憶に残る生徒だった」と言う。しかし、どうしても就職したかった意中の美容院は、面接で手品まで披露したものの不合格に。結局、別の美容院で働いた。


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高まる人気、深まる葛藤

 着実にキャリアを積み、3年でスタイリストに昇格した。多いときには一度に4人を掛け持ちすることも。人気美容師が「カリスマ」ともてはやされ、美容師を主人公にしたドラマも大ヒット。美容院でカットする男性客も増え、美容師の人気が高まっていた。毎朝7時半に出勤し、仕事場を出るのは夜中11時半。客の回転率を上げることが最優先され、アシスタントからは「S1で(スーパー急いで)」の隠語が飛んだ。

 そんな日々には葛藤があった。一人の客に集中したかった。客を忘れてほったらかしにし、泣かせたこともある。「うまくなりたい」。さらに上を目指して勉強を続けていたとき、ロサンゼルスから帰国した日本人美容師の講習に心を奪われた。美容院を辞め、25歳で単身渡米。現地の語学学校に通いながら、美容学校で学んだ。持ち前の集中力で、アメリカの美容師免許を最短の6か月で取得し、周囲を驚かせた。

 ロサンゼルス、そしてニューヨークのヘアサロンを渡り歩いた。ニューヨークは何もかもがエネルギッシュで、刺激に満ちていた。高級サロンのアシスタントとして職を得て週6日勤務し、残り1日はカットモデルの撮影。この生活を一心不乱に3年間続けた。

突然のクビからNYナンバーワンへ


大森さんは明るく、笑顔が絶えない


 「あなたのヘアスタイルがかっこいいから」。大森さんのカットを気に入って来店した客がいた。しかし、こともあろうに店長は別のスタイリストをその客につけた。悔しくて抗議した。「チャレンジしたいなら、よその店に行け」。そう言われ、いきなり解雇された。「頑張ってもダメなことが人生にはある」。また挫折を味わった。

 トップレベルで戦いたい。そう思い、ヘアカットで10万円という高級ヘアサロン「ジュリアン ファレル」に入った。オーナー直属のアシスタントとして頭角を現し始めると、ちっちゃなアジア人の活躍をひがむ声も店内にあった。指名が増え、ヘアスタイリストに。「日本人には『空気を読む』みたいなものが染みついているんだと思う。『おもてなし』のメンタリティーが自然と備わっていて、お客さまにも伝わる」。高級ブティックが立ち並ぶニューヨーク五番街の店で2年続けて売り上げナンバーワンを獲得。ニューヨークの人気ヘアスタイリストの仲間入りをした。

 長男が生まれ、アメリカでの生活は10年を過ぎていた。夫は日本へ帰ることを勧めたが、ようやくつかんだ地位を手放したくなかった。「どんだけ苦労したと思ってるんですか」。しかし、長男と過ごすうちに、気持ちは帰国へと傾いていった。「私が笑顔じゃないといけないし、息子も笑顔じゃないといけない」


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「もうちょっと」の積み重ね

 福岡に帰って3年が過ぎた。「ほっとするし、生まれ育った街で子育てできる幸せを感じる」。親が孫とふれあっている姿を見るのも嬉しい。福岡は人の温かさがニューヨークに通じる。でも、「同じ場所にずっといる生活は考えられない」とも。


取材日もインタビュー直後に東京へ飛んだ

 東京には予約の順番を待つ大勢の人がいる。持ち前のバイタリティーは、ニューヨークにいた頃と変わらない。ひと月のうち数日は東京へ。時折、ニューヨークやイタリア・ミラノへも飛ぶ。2018年からはテニス「東レ パンパシフィック・オープン」などの試合会場で、選手の髪を整えるヘアブースを手がけている。

 世界を経験して、アジア人の美しさを実感した。アジア人としてのアイデンティティーを見つめ直し、世界を舞台に打ち勝っていくアジア人を応援したいと思っている。一人のヘアスタイリストとして、一人ひとりの美しさを引き出す仕事をしたいと思うから、一人ひとりに全力で向き合う。「もうちょっと、もうちょっとの積み重ね」。美容院を出る人には、生き生きと日常に戻ってほしい。その人がどんなにつらくても、「今日も髪はきまってる」と鏡に映る笑顔を増やしたい。そう誓っている。


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