「若鷹神社」福岡から宗像へ 熱い思いを継いで玄界灘そばに
プロ野球・福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)を応援する人たちが四半世紀にわたって集い、勝利を願って手を合わせてきた福岡市の神社が、福岡県宗像市へ移設された。球団誘致に尽力した男性が設け、守ってきたが、妻の病で維持していくことが困難に。存続を望む人たちの思いがつながり、応援歌の歌い出しにも登場する玄界灘のすぐそばに置かれることになった。
誘致に汗した男性が”創建”
「君たちの力で球団誘致を始めてくれないか」。福岡市中央区の武内菊夫さん(75)は約40年前、福岡青年会議所の会合で、西鉄ライオンズで活躍した稲尾和久さん(2007年死去)の言葉を聞いた。小学生の頃、ラジオの野球中継を聞いて憧れた「鉄腕」の熱意に応えようと、署名集めなどの運動に打ち込んだ。
1988年、南海ホークスのダイエーへの球団譲渡とフランチャイズの福岡移転が決まったが、成績は長く低迷し、観客動員も伸び悩んだ。「プロ球団という宝物を、西鉄ライオンズの時のように福岡から手放すわけにはいかない。市民球団として根付かせなければ」。キャンプや遠征に駆け付け、シーズンオフには自ら運転するワンボックスカーに選手たちを乗せて、病院や養護施設の慰問を続けた。
南海時代を含め、21年ぶりのAクラスに入った98年9月、「応援する人たちのたまり場を」と頼まれ、九州最大の繁華街・中洲に「いざかや鷹・鷹・鷹」を開いた。出来上がった神棚が予想以上に立派だったので、金色のタカの像をまつって「若鷹神社」と名付けた。店は選手や球界関係者、応援団らでにぎわった。翌99年にリーグ初優勝を果たすと、1週間無料で酒と料理を振る舞い、さい銭箱にたまった金で市立こども病院へ車いすを贈った。
ホテルロビーでこれからも
2002年、神社と共に中央区白金へ店を移転。ダイエーカラーの鳥居を新設し、玉砂利を敷いた。ここでも大勢のファンが集ったが23年2月、妻洋子さん(74)にステージ4の肺がんが見つかった。
「野球第一の自分を支えてくれた妻を、これからはそばで支えてやりたい。店も閉め時だな」
唯一の気がかりが神社だった。洋子さんは、ホークスのチームスポンサーである大東建託の支店顧問を務める内田光江さん(86)(那珂川市)に相談。内田さんは、玄界灘に面した宗像市神湊で宗像リゾートホテルを経営する二羽博俊さん(76)に橋渡しをし、自由に参拝できるよう、ホテルの1階ロビーに設置してもらうことになった。
球団が毎年必勝祈願に訪れる筥崎宮のおはらいを受け、宮大工が解体。ホテルで再び組み上げ、歴代選手のサインボールやバットも飾った。移設を見届けた武内さんは23年10月、25年の節目に店を閉じた。
「誘致からの思いを引き継いでもらい、子どもたちを中心に皆で盛り上がるきっかけになれば」と武内さん。二羽さんは、集まったさい銭を地元少年野球の支援に充てる意向という。